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2012年7月13日 (金)

「猪買い」は江戸でできるか 4

 原田教授の書籍のつづきからです。本の返却期限も近づいたので急いで読みました。

 「江戸の料理と食生活」(小学館)は、「日本ビジュアル生活史」の一冊で、大判で冒頭、江戸料理の再現カラー写真が目を引きます。「熈代勝覧」も食べ物屋に焦点を当てて解説されると目新しく感じます。
 年代順ではなく、トピック別になっていて、獣肉についての項目立てがあります。「嬉遊笑覧」という文献に江戸前期には四谷に獣市がたったと書かれていることが紹介されています。そしていよいよ、文化文政の「山くじら」屋に食肉を供給したのは、上野・下野・常陸・下総の山間部で、利根川の河川運輸で運ばれたことが記されています。
 どの項目も写真・絵を豊富に使って平易に説明した本です(オールカラー、収録図版350点余。江戸料理のレシピ付き)。

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 「江戸の食生活」(岩波現代文庫)では、本論の最初の章で「肉食の実態と供給」に1節を割いて始まります。これまでの内容を詳しく説明しています。
 「料理物語」(江戸前期:慶長年間?)に上=羚・羊・牛・獺・鼠、中=鹿・猿・狗・狐、下=猪・狸・狼・猫・熊と肉をランク付けしているそうです。いろいろなものを食べていたんですね。
 「嬉遊笑覧」には、獣店が寛文年間あたりで消滅したと考証しているそうです。原田教授も同意しています。
 幕末の「守貞謾稿」がももんじやについてとても詳しくて、鹿・猪をねぎと一緒に鍋にして出しているほか、豚も琉球鍋として売るなど天保期以降に獣肉店が非常な勢いで増えたとあるそうです。

 そして流通では、朝鮮使節史の饗応のため、途中地点の岡崎でイノシシを2匹収めるよう命じられたこと、江戸での食事のためには、上野の山中領(あの御巣鷹山のほう)に鮮度のよい猪の上納を命じられたとあります。
 こうした肉は利根川を利用したわけですが、水運で栄えた境河岸で、下野・常陸・下総からの猪鹿肉の運輸でトラブルがあった資料を示しています。これは化政期のことです。
 やはり耕地の開発に伴って、田畑を荒らす害獣の駆除が問題となり、丹沢では銃が代官から農民に貸し与えられました。
 「山間部もしくは山麓の村々などで捕獲された猪が、仲介業者を通じて、江戸の獣店に供給された」と結論しています。
 余談ですが、この本には、一行だけですが、幾世餅を紹介した文書のことが書いてあります。

 「猪買い」のシチュエーションを江戸に持ってくるには、希望としては文化文政から慶応年間の江戸後期に持ってきたいところです。さかのぼっても天保くらいでしょうか。
 ただし、場所は上野村では旅には奥過ぎます。江戸近郊が望みです。

Sizensi


 そこで、図書館で区史の類を流し読みしました。あるのは鷹狩の記述ばかりです。三鷹市の鷹場なんて地理的にはちょうどよいかも。でもイノシシがいたかは不明です。
 先日紹介された目黒の鷹場もありますし、東京ふるさと文庫(全23冊)の一冊、林英夫「豊島区の歩み」(名著出版)では鷹場が高田→雑司が谷→鼠山→巣鴨・染井に変遷したとあります。当時、豊島区内は武蔵野の荒野が広がり、雲雀・鶉など鳥類の他、野猪、鹿・狐などが棲息し吉宗などもたびたびこの地に狩をしたそうです。

 目先を変えて動物の分布の記録を探しました。いれば害獣として狩られたはずです。野村圭佑・「江戸の自然誌 「武江産物誌」を読む」(どうぶつ社)で、武江産物誌(1824)を現代語に訳してあり、解説には猪・鹿の項目がないのは夜行性だからか?と考察しています。可能性はあるのでしょうか。
 そして、時代が下った家斉の大規模な巻狩り(1795)で、下総の小金原(松戸市)でイノシシを仕留めたと言及しています。この辺を詰めれば、場所と時代に折り合いがつきそうな気がします。

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コメント

寛文から元禄の頃は江戸時代でも一番肉食が行われなくなった時期ですね。その後、六代将軍の治世になると直ぐに復活した様ですね。

松戸というのは距離的にもピッタリで良いと思いますが、途中で関所があります。これが問題ですね。
関所を通らない様に船を出さないとイケませんね。

将軍のお鷹場は一般市民は確か禁猟でしたよね?
その点も色々と当時は問題があった様ですが、それは別の事なので・・・

噺的にどう持っていくかですね。大家さんに通行証を出してもらえば良いですね。
大家さんに頼まれて新鮮な猪の肉を求めに行く、という設定で・・・
どんどん「池田の猪書買い」から離れていきます(^^)

投稿: hajime | 2012年7月13日 (金) 15時16分

>一番肉食が行われなかった時期

 生類憐みの令のプラス面が、殺伐な気風を改めたことだそうですね。ただし動物性淡白の不足した江戸時代人は体格・発育が最低でした。

>お鷹場は禁猟

 それだけに、獲物が豊富で周辺の農村は、簡単にえさの手に入る畑を荒らすイノシシに困ったはずです。そしてそこには鉄砲があったと・・・次の農村の鉄砲に関する本をこれから読みます。

投稿: snob | 2012年7月13日 (金) 17時15分

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