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2012年8月 1日 (水)

「猪買い」で江戸から出られるか

 今回は番外編です。以前にコメントで金町の関所について教えていただきました。歴史はニワカなのでまさか江戸川あたりで関所とはちっとも知らなかったです。御存じの方にはなんでもないことでしょうが、門外漢には新知識、新知識。

 箱根の関所は有名ですし、うちのほうの中山道は碓井まで関所がありません。昨日調べたら甲州街道は小仏なんですね。日光御成街道は栗橋です。それに比べると金町は江戸の目と鼻の先です。市川にも関所はあったことも知りました。

 ネット上では「江戸近郊農村において、農民が鉄砲などで捕獲した農害獣の猪や鹿を利根川を利用して江戸へ運び…」という文言がはびこっていますが、どうもコピペのように思えます。後半の「利根川を利用して」は原田教授の著作からのような気がしますが、「江戸近郊」が具体的にわかりません。これが本当にすぐそばの村なら「猪買い」にいいわけで、だから調べているのですが、現在松戸方面も候補に考えてます。

 そこで、金町関所について一冊だけ本を読んでみました。加藤貴・編「大江戸 歴史の風景」(山川出版)というものです。五街道のことがかいてあるのですが、関所は金町を取り上げて章をさいています。

 関所を通るときには、関所手形が必要というのは知っていました。しかし、それは女と鉄砲だけで、一般男子はそれと性格の異なる往来手形で通れていたそうです。関所手形は幕府発行、往来手形は菩提寺を中心に名主なども発行した身元証明書です。それを見せるだけで通れました。金町松戸関所に提出した手形が大量に残されていて、名主が自村以外の者に発行したり、旅籠が発行したりも少なくないそうです。
 軍事・治安目的もあったにせよ、流通の要所でもあるのですから、問題がなければそれほど通行は難しくはなかったのではないでしょうか。
 松戸金町、市川の関所のほかに、小名木川を通って江戸を出る行徳船もあり、時代はちがいますが、芭蕉はそれをつかって松戸小金原を通って鹿島に抜けています。これは中川船番所で改められましたが、旅人については「通ります」「通れ」という形式的なものだったようです。中川番所はブラタモリでも取り上げてました。

 松戸方面を候補から除外しなくても済みそうです。

Yamakawa


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コメント

金町の関所は地元と言う事もあり、少し調べましたが、
鉄砲に関しては厳重を極めたそうですね。
後、出女もうるさかったそうですね。
それ以外はかなり緩かったそうです。

落語で、ここを通る事になると、ここだけで一つの噺が出来ますね。
役人とのトンチンカンなやりとり、とか楽しそうです(^^)

ここに関所があるために、手前の新宿の宿で泊まる旅人は余りいなかったそうですね。松戸まで足を伸ばしたか、江戸へ来る人は手前の松戸で止まったそうです。(^^)

投稿: hajime | 2012年8月 1日 (水) 16時39分

関所跡は碑が1本立ってるだけなんですね。も少し何かあれば見に行ったのに。葛飾には何か史跡がありますか?江戸から続く菖蒲園以外で (^^;)

投稿: snob | 2012年8月 1日 (水) 19時33分

う~ん
よそからわざわざ来る程の名所は無いかな?
小菅御殿は東京拘置所の中ですしねえ。

只、菖蒲祭りの期間中は堀切菖蒲園を中心に、堀切の名所を案内するボランティアの方の観光ガイドがあります。

菖蒲園を10時30と14時の2回1時間掛けて案内します。

具体的には。
菖蒲園---イボトリ地蔵(極楽寺)--郷倉--渡辺千秋の歌碑---堀切七福神--井戸掘り絵額・板絵着色屋形船兵庫丸・大和丸図絵馬(宝性寺)----京成堀切菖蒲園駅

と言うコースです。

http://imgur.com/0RCcL
これが看板です。門の処にあります(期間中)
特に宝性寺のはかなり必見の様です。
私自身は仕事が忙しく、このツアーには行った事ありません(^^)

投稿: hajime | 2012年8月 1日 (水) 21時06分

ありがとうございます。

近く(自分のじゃないですけど)でもまだ足立も見て回ってません。小塚原と寛永寺黒門、平賀源内の墓とかを見たいと思っています。葛飾区も候補に入れます。自転車でふらふらしてみたいです。

投稿: snob | 2012年8月 1日 (水) 21時21分

 関所と云う事ではないにしても、甲州街道と青梅街道の両方から江戸へ入るところに四谷の大木戸と云うのがあったはずです。その他、八王子にも木戸があって、六尺棒を持った番人がいて不審者をチェックしていたはずです。

 江戸時代には四足動物を食べる事は禁止されていたので、イノシシなどは「山くじら」として食べていた訳ですが、両国の「ももんぢや」のイノシシはどこから持ってきたのかと云えば、丹沢じゃないと思います。陸上輸送は大八車に乗せる訳ですが、道路が整備されていた訳ではないので、陸上輸送には時間が掛かるので、海上輸送や川を利用した舟による輸送が盛んだったはずです。

 私も利根川を利用してイノシシやシカ肉を江戸へ運んだと記事に書いている一人ですが、銚子漁港から利根川を遡って江戸まで船で運ぶ水路があるんですよ。「目黒のサンマ」は、将軍家が御三家の水戸藩の屋敷に招かれて、水戸名物のサンマをリクエストすると云う正蔵のやり方以外には成立しない演目です。殿様の側用人は切腹しなけりゃならないし、水戸藩邸ならばサンマを所望するのは殿様の見識となります。

投稿: 藪井竹庵 | 2012年8月 2日 (木) 07時36分

藪先生、こんにちは。

水路のことは、ブラタモリで”水路地図”というのを見せていました。珍しいものだそうですね。

原田教授も水路経由で猪肉をはこんだ証拠を書いておいででした。出荷元については群馬の上野村の記録が別の文書にあるそうですが、これも運搬は水路しか考えられません。

ただ今回はできるだけ近い具体的な地名を見つけたいのですがなかなか見つかりません。

投稿: snob | 2012年8月 2日 (木) 08時48分

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