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2012年9月 4日 (火)

ことば狩り

 シュヴァンのビデオは、乱れが見つかると別の図書館で借りて、果たして良いものでそろえることができるか、探してみました。しかし同じ音声の欠陥が次に借りたビデオにもありました。

 文七元結:できたての××手駕籠が
 三十石:どうしたんだまた、……(豆ができて)
 庖丁:脅かして……いくらンなるかしらねぇが叩き売って
 後家殺し:重ねておいて×x×、八つにする
 蛙茶番:あの××小僧
 三軒長屋・上:一両もらって×××になりやがって
 三軒長屋・下:××××水・××××じみた
 唐茄子屋政談:あると思うな親と金、ないと思うな××と天罰
 百年目:葛西からくる…惣兵衛てぇ男が
 お神酒徳利:薬を飲ましてやりたくても…でお金がございません

 違うビデオで同じ部分が抜けるのは異常です。これは劣化ではなく、初めからことばをカットしてあったのです。1990年前後のカセット”特選圓生十八番集”やいくつかのCDに、同じ音源が一部含まれています。そちらでは該当部分の音声は残っています。よくよく比べてみるとカットされているのは差別語といわれるものです。なるほど、ビデオにしたこの時代は敏感な時代だったのでしょうか。こんなにカットしてあるものは初めて見ました。
 カットをカットとわからせないようにする編集もできただろうに、ただセリフが空白になっているのは今となっては不思議です。
 昔、黒沢明の「用心棒」をテレビ放映した時、東野英治郎のセリフがそうなってたのを思い出しました。

 実は私は”ことば狩り・ことばの言い換え”には良い面が間違いなくあったと思います。学校で、地域で子供たちが障害のある人を見つけて、遠くからはやし立てる。そんなシーンをついぞ見たことがありません。道で初対面の人に”おい、そこの×××”とその障害で呼びかける、そんなこともなくなったのではないでしょうか。

 もちろんその反面、まったく差別のない表現が規制されてしまうこともあります。しかし、このビデオの、音が同じ言葉までを消すというのはいくらなんでも行きすぎです。

 いまは、「差別的表現がありますが、古典落語の芸術性に鑑み…」などと断ったうえでそのまま流します。それもあるいは、落語が主要演芸の座からはずれた証かもしれませんね。

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コメント

 ひじょうにデリケートな問題ですね。
>”ことば狩り・ことばの言い換え”には良い面が間違いなくあった
の点で私はsnobさんと同意見です。
 落語ファンの間では「言葉狩り」に対して概して批判的意見が強いようですが、「一般的に差別語を表だって使わなくなった」ということと「落語などの古典芸能で昔からある差別語を意図的にカットする」こととは区別して考えなければならないと思います。
 身体や精神に障害のある人たちを、その障害ゆえに差別してはならないというのは、現代では正当な考え方といってよいでしょう。ちょっと面倒くさい言い方をすれば「普遍的な人権」とでもいうのでしょうか。「心眼」のように、差別語で侮蔑される一方で、さらにその差別的ポジションに立たされた悲嘆を芸術的に昇華できればそれはそれで素晴らしいのですが、差別するためだけに差別語を並べるような行為が忌避されるのは当然だと考えます。
>落語が主要演芸の座からはずれた証かもしれません
「古典落語」はやはり「古典」ですね。現代とは違う習俗や物の考え方を、頭の片隅に置いておかなければ楽しめない芸能だと思います。

投稿: にしの | 2012年9月 5日 (水) 01時00分

 ことばがあるのは違いを認識するからで、エスキモーには雪を表すことばが7つあると言われます(数百というのは増幅された誤り)。降っている雪と積もった雪を区別する必要があったからです。

 ことばだけでなく、違いを少なくする努力がある程度実ったのでしょう。そのとき振り子のようにふれすぎがあったと。

 話をシュヴァンに戻して。ビデオがDVDにメディアが変わって、ちゃんとした映像+音源が残って幸いでした。

>古典
 先日モモクロが鈴本に出てました。橋本市長と文楽の関係のようなことにならないよう、若い人への働きかけが求められますね。

投稿: snob | 2012年9月 5日 (水) 07時43分

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