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2012年10月11日 (木)

馬生のお墓にお参りしてきました

 墓誌に馬生の名がないとわかったとき、ピンときたことがあります。7月に中尾彬・池波志乃夫妻が谷根千エリアを紹介する番組が放映され、面白かったので、録っておいたのです。
 もともと志ん生の家があり、その裏手に馬生が家を構えた土地です。谷中ぎんざでも知り合いにあいさつし、中尾デザインの商店街ロゴや、いつもでるメンチカツの肉屋でなく、ハムカツの店を紹介とななめ45度からの紹介でしたが、番組の最後に中尾・池波が生前墓を構えたといっていたのです。
 美術家である中尾のデザインの墓でした。

Basho

 そこへ行ってみようと思いました。思い立つと急いてしまいます。ついでにカセットも急いで聞いて返しに行くことにしました。

 水道端で借りたものを本郷図書館で返す、その足で谷中墓地のはずれの長久院に向かいました。こじんまりしたお寺で、門のすぐわきに目指す墓がありました。墓誌はありませんが、生前墓にしては線香も灰になっています。そして塔婆に「弟子一同」。馬生の弟子しか考えられません。
 ジャージ姿でいた住職に質問すると間違いありませんでした。生垣越しに墓石の裏を見ると、そこに美濃部清の名が刻まれていました。

Chokyu

 お参りをすますと谷中墓地を通って天王寺(かつての富くじの谷中感応寺)脇から紅葉坂を降りて日暮里駅へ。次の図書館へと向かいました。

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コメント

私も、美濃部家の墓に馬生師の名が無いと読んだ時に、確か中尾彬さんが、「墓を拵えた」と語っていたのを思い出しました。
どこのお寺かは知りませんでしたが、よくいらっしゃいましたね。
行動力が半端無いですね。凄い!です(^^)

投稿: hajime | 2012年10月11日 (木) 21時49分

たまたま残してあった録画に寺の名前もあっただけの偶然です。それに図書館から数百メートル。
 志乃さんも「散歩の途中に寄ってください」と番組の中で語ってますので、遠慮なく遥拝しました。

 想像だけですが、「美濃部」の姓を継ぐのが志ん朝のご子息だけなので、小日向のお墓はそちらに委ねたのでしょう。そして自分たちの入る墓を父母の眠る地とした、と。

投稿: snob | 2012年10月11日 (木) 23時16分

 美濃部家の墓の前にある石版の墓誌の写真を拝見しました。
 私が去年の九月に還国寺へ行った時には、今の新しい石版ではなくて、十人位の戒名が書いてあるものでした。

 おりんさん以前のものを「先祖代々」として新しく作り直したんですね。
 去年の九月以降に馬生の墓を別にしたんですね。

 事情が判りました。ありがとうございます。

投稿: 藪井竹庵 | 2012年10月12日 (金) 06時24分

番組では去年墓を建てたといってました。私も薮先生のところの写真と見比べて、事情に気づきました。
 中尾夫婦には子供がおりませんので、家名が刻まれていないのもデザインだけではないかもしれません。墓の継承は難しいですね。

投稿: snob | 2012年10月12日 (金) 07時23分

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