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2012年11月

2012年11月30日 (金)

千字寄席(PHP研究所)

 著者は古木優・高田裕史さんで1995年発行。下巻は1996年。Wikiでなんですが、監修の立川志の輔は名前貸しであるように書かれています。上巻には”上”の表記がないのですが、50音順に「青菜」~「鈴ふり」まで207席、下には「水道のゴム屋」~「藁人形」195席が収められています。

 定価はそれぞれ1800円。ただし絶版であるため、アマゾンマーケットプレイスで500円前後から。2000年にはPHP文庫から215席の抜粋版・1200円が出ています。こちらもマーケットプレイスで700円前後です。
Senji
 書名どおり、あらすじが約千字でまとめてあります。独自の記号も多いですが、できるだけ再現してみました。「時そば」の項目をどうぞ。

時そば
【別】時うどん(上方)
【評】粋◎◎艶-熟◎◎◎◎笑◎◎落◎◎◎◎
あらすじ 夜鷹そばとも呼ばれた、屋台の二八そば屋。冬の寒い夜、屋台に飛び込んできた男、「おうッ、何ができる?花巻にしっぽく?しっぽくウしとつこりらいてくんねえ。寒いなァ」「今夜はたいへんお寒うございます」「どうでえ商売は?いけねえか?まあ、アキネエってえぐらいだから、飽きずにやんなきゃいけねえ」と最初から調子がいい。持って食う間中、看板が当たり矢で縁起がいい、あつらえが早い、割りばしを使っていて清潔だ、いい丼を使っている、鰹節をおごっていてダシがいい、そばは細くて腰があって、竹輪は厚く切ってあって……と、歯の浮くような世辞をとうとうと並べ立てる、食い終わると「実は脇でまずいそばを食っちゃった。お前のを口直しにやったんだ。一杯で勘弁しねえ。いくらだい?」「十六文で」「小銭は間違えるといけねえ。手ェ出しねえ。それ、一つ二つ三つ四つ五つ六つ七つ八つ、今何刻だい?」「九ツで」「とお、十一、十二……」。すっと行ってしまった。これを見ていたのがぼーッとした男。「あん畜生。よくしゃべりやたったな。はなから終いまで世辞ィ使ってやがら。てやんでえ。値段聞くことねえ。十六文と決まってるんだから」。それにしても、変なところで時刻を聞きやがった。あれじゃあ間違えちまうと、何回も指を折って「七つ、八つ、何刻だい、九つで」とやった挙句「あ、少なく間違えやがった。何刻だい、九つで、ここで一文かすりやがった。うーんうめえことやったな」。自分もやってみたくなって、翌日早い時刻にそば屋を捕まえる。「寒いねえ」「へえ、今夜はだいぶ暖かで」「ああ、そうだ。寒いのはゆんべだ。どうでえ商売は?おかげさまで?逆らうね。的に矢が……当たってねえ。どうでもいいけどそばが遅いねえ。まあ、オレは気が長えからいいや。おっ、感心に割り箸を……割ってあるね。いい丼だ……万遍なく欠けてるよ。鋸に使えらあ。鰹節をおごって……ぶあっ、塩っからい。湯を埋めてくれ。そばは……太いね。ウドンかい、これ。まあ、食いでがあっていいや。ずいぶんグチャグチャしてるね。こなれがよくっていいか。竹輪は厚くって……おめえんとこ、竹輪使ってあるの?使ってます?ありゃ薄いね、これは。丼にひっついて分からなかったよ。月が透けて見えらあ。オレ、もうよすよ。いくらだい?」「十六文で」「小銭は間違えるといけねえ。手を出しねえ。それ、一つ二つ三つ四つ五つ六つ七つ八つ、今何刻だい?」「四ツで」「五つ六つ七つ八つ……」。(ちくま三木助、桂三木助▼三
●原→享保11年(1726)刊の笑話本「軽口初笑」中の「他人は喰より」、安永2年(1773)刊「坐笑産」中の「あま酒」、同年刊「芳野山」中の「夜鷹蕎麦」、同4年(1775)刊「富久喜多留」中の「甘酒」など、類話の小咄は多い。落語としては上方種だが、明治期に柳家小さん▼三が東京に移植。
●キ→①夜鷹そば=夜鷹(本所吉田町や柳原土手を縄張りとした最下級の街娼。一回二十四文)がよく食べたことから。種物が充実して盛んになったのは文化年間(1804-1817)。幕末に二十文、さらに二十四文に値上げされた。②何刻=冬の夜九ツはおよそ子の刻、午前0時~2時。四ツは午後10時~午前0時。江戸時代の時刻は、明六つから、およそ二時間ごとに、六五四九八七と繰り返していく。
●演→小さん▼三以来、代々小さん系の噺。三木助▼三は、小さん▼三の高弟・三笑亭可楽▼七に直伝されたものを、「月がみえらァ」など、独自の情緒的表現とくすぐりを加えて十八番とした。三木助の師匠・春風亭柳橋▼一を始め、そばの数え方を「ひいふうみい」と演る演者が多かったのを、時刻との整合から「一つ、二つ」と変えたのも三木助。現役では柳家小三治ほか、多くの演者が手掛ける、落語の代表的な噺。
●余→三木助はマクラに「ひょっとこそば」の小咄を付けている。客が食べてみるとえらく熱いので、思わずフーフー吹く。その顔がヒョットコという訳。

 著者の二人が、同じcocologでWEB版「千字寄席」を開設しています。423席の解説が読め、わたしもよく見に行っています。更新頻度は高くないですが、圓菊さんの追悼の記事には、圓菊好きでない私も感銘を受ける名文でした。なんどか主張するように、訂正・追加が自由なWEBが、事典的なデータベースにはふさわしいでので、とてもありがたいです。(数日間アクセスできずに何かあったかと焦りました)
 上の「そばの数え方」は明らかなミスですが、WEBではちゃんと「そばの代金の数え方」と直ってます。

 それにしても、三木助「時そば」がここでも先の本でも例示されますが、速記本からでした。それが今、小学館「三木助全集」で実際に音が聞けるようになったのは、時代の恩恵です。

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2012年11月29日 (木)

定本 落語三百題(岩波書店)

 2007年発行、タイトル通り300の噺について解説しています。8190円。著者は朝日新聞社で古典全書を編纂するなどのあと大学教授、やはり東大出身です。この本の参考書の中に、「落語事典」も含まれています。もともとは「落語三百題-落語の戸籍調ベ(上・下)」(1969年・東京堂出版)の合本再刊です。
Rakugo300

 では「時そば」の解説を。

時そば 夜泣きそば屋が売りに歩いていると、一人の若い男「おい、しっぱくを一つこしらえてくんねい。寒いなあ今夜は。おめえのとこの看板。的に矢が当たっててあたり屋か。おれはこれから手慰みに行くんだが、あたり屋とは縁起がいいや。もうできたのかい。オヤ、割箸とはきれいごとだね。また器がいいや。ウン鰹節をおごったナ、それに細くて腰が強くていいそばだ。竹輪も本物だし厚く切ってあらァ……アアうまかった。十六文か。小銭だ、間違えるといけねえから手を出しねえ。ひい、ふう、みい、よ、いつ、むう、なな、やあ、何時だい?」「へえ九刻で」「とお、十一、十二……十五、十六」と勘定を払ってプイッと行ってしまった。これをみていた与太郎、あまり調子がいいので最初は食い逃げかと思ってたが、調子よく話しかけて、結局一文かすめたと気づいて面白がり、翌晩小銭を用意して夜泣きそばを待ち受ける。「オイ、しっぽくをくんねい。寒いなあ。ナニ今晩はあたたかい、ウン昨夜は寒かったなあ、おめえんとこの看板、変わってるな、的に矢・・・・・・じゃなくて丸がかいてある、丸屋か。まだそばは出来ねいのか。割箸・・・・・・じゃねえナ。この方が割る世話がなくていいんだ。器はと・・・・・・これ洗ったのかい?きたねえなあ。でもダシはおごっているだろう・・・・・・オイ湯をうめてくれ、にがいや。そばは細いほう・・・・・・これ、うどんじゃないのかい、太い方がいいや、食いでがあって。竹輪はよくもこう薄く切れたもんだネ、これは本物の麩だね。おれ、もうよすよ。おい、いくらだい」「へい、十六文で」「小銭だから、手を出しねえ、ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、なな、やあ、なんどきだい?」「へい、四刻で」「いつ、むう、なな・・・・・・」
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〔鑑賞〕 はじめの男は、仕込んだ通り万事調子のよい誉め言葉の連続で、そばやの気持ちをうまくまるめこみ、トントンと事を運び、うまい勘定の仕方で首尾よく一文得して帰る。これにならった与太郎は、一応先夜の男の口真似をしたものの、そばやの実態がまるで違うため一向にかみ合わず、トンチンカンな応答の上、時刻を違えて出たために、折角お目当ての計算がかえって損する羽目に陥る、その巧拙の対照が妙で、短いながら笑いの多い広く知られた噺である。原話としては江戸小咄にも「夜鷹そば」(芳野山・安永一)などが他出するが、先行の軽口噺を示そう。窮余の一策で実際譚のようにもみえる。
お中間、お使に出て、先様でひまが入つて、日は暮れる腹は減る。鎌倉河岸で蕎麦切を食ひ「亭主今のはいくらぞ」「六文でござる」。煙草入の底に五文ならでなし。よもや負けはせまいと思案して、かの銭を「一ツ二ツ三ツ。亭主、なんどきぞ」「四ツでござる」「四ツか。五ツ六ツ」と数へてやつた。(軽口初笑巻三・享保十一・他人は喰より)

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2012年11月28日 (水)

小石川後楽園

 何度もそばを通り過ぎた大名庭園です。いつかは入ろうと温存していましたが、紅葉が見事との報道もあり、足を運びました。

 偶然、ボランティアガイドさんが解説を始めようというところに入場したので、これ幸いと案内していただくことにしました。「孝行糖」から水戸家の上屋敷と思っていましたが、江戸のはじめは中屋敷で、上屋敷は他の御三家と同様、江戸城内にあったものが、明暦の大火で上屋敷を焼失返上。以降、上屋敷となったそうです。

 ここ数日が紅葉の最盛期とガイドの方もいってましたがその通りでした。水戸家代々がそれぞれの意匠を凝らした庭園は、同じ文京区の六義園より規模が壮大でした。

 新宿の尾張家庭園ではその中に東海道の宿場を再現したり、箱根山を模したりしたと「江戸のススメ!」でも聞いたばかりでしたが、こちらも木曽街道から入り、竜田川、嵐山、清水寺舞台、琵琶湖、そして中国(明)好きの光圀が作った西湖堤などが配され、それぞれが歩くに連れて姿を現すように、隠されているという・・・大名ってスゴい。
Korakuen
 説明つきだと1時間半歩いても飽きません。それでもまだ見ていないところがありました。こんな庭園でも震災・空襲による消失があったんですね。維新を生き延びたのに惜しいことです。

 そして江戸時代にはありえなかった・・・後楽園を上から見に、文京区役所・シビックセンター展望台にあがりました。

 反対側にはスカイツリーがそびえ、その足元にはアサヒビールの”オブジェ”も見えました。
Objet

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2012年11月27日 (火)

増補 落語事典(青蛙書房)

 落語事典類に興味が出てしまったので、比べることにしました。こういうとき図書館は便利です。トップバッターは「増補 落語事典」(東大落語会)です。編者の筆頭に、山本進さんが名を連ねています。

 1969年発行、その後再販と増補を重ねています。収録は1260編、611ページ、この種のものでは最多を誇ります。4935円。前書きで、ぶっつけ落ち、地口落ちなどのサゲの分類は意味がないと切り捨てています。

Rakugojiten_2

         比較のために、「時そば」の項目を拾ってみます。

時そば(ときそば) (青)三木助(筑)(風)(普)
別名「時うどん」
〔梗概〕 むかしは二八そば、夜鷹そばというそば屋が、往来を流して売っていた。そば屋を呼びとめた男、さんざんそば屋におせじをいったあげく。「いくらだい、十六文、銭はこまかいよ、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、何どきだい?」「九つで……」「とお、十一、十二……」とうまく一文ごまかしてしまった。これを見ていたのがぼおっとした男、さっそくやってみようと、翌日こまかい銭を用意して待っていると、他のそば屋が来た。おせじをいおうとしたが、まずくて汚いのでほめようがない。勘定になって「一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、何どきだい」「四つで」「五つ、六つ、七つ、八つ……」
〔解説〕 三代目柳家小さんが、大阪の「時うどん」を改めたものとされている。現春風亭柳橋は、「ひい、ふう、みい、よう……」と数えているが、故三木助は「一つ、二つ、三つ、四つ……」と数えた。後者のほうがむかしの時刻の呼び方にマッチするようである。九刻は現行夜十二時、四刻は十時に相当する。原話は享保十一年京都板「軽口初笑」の「他人は喰寄り」。

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2012年11月26日 (月)

英検合格

 ちょっとだけ自慢させてくださいな。

 週末に結果が出そろって、中2の子3人が全員英検3級の2次試験に合格しました。英検自体は出題パターンが明らかなので、特訓をすると受かりやすい試験です。だから中2の時点での合格は大したことないのですが、うちのおまけ塾の特徴は、リスニング試験の得点が高い(おかげで1次試験をぎりぎり合格)のと、1次に比べて2次の面接試験が満点に近いことです。

 教師側が英語しか使わないので、聞く力をつけられる、ということが実証されていると思うのです。英検の面接は試験官の質問に答える一方なので今は対処できていますが、本当の会話力は試験官に逆に質問するような試験でなければ測れません。その力はまだ不足しているので自分の授業の課題として大きく残されているのです。

 先日、ちょっとだけ行った中学校の校長が進路指導の研究会で、中堅高校の英語の授業を見たそうです。単語の意味を教えて、文法の説明をして、文を訳させる、明治維新以来連綿と続く授業をやっていたと教えてくれました。
 それでは東大を出ても英語がしゃべれない。日本の将来に影響があると思うんです。

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2012年11月24日 (土)

石神井川

 トンデモ本の類は世に出回っていますから、Wikipediaに限らず書籍だってソースにするときは慎重にしなければいけないことがあります。

 江戸文化の番組で言っていましたが、いわゆる生類憐みの令で犠牲となった人は何人か、は書籍によってまちまちだそうですね。新井白石も前代の綱吉政治との違いを強調するために大げさな数値を記録したといいます。

 以前に検証されていなかった説を立てて書籍に記したあと、それがどうなるか。

 以前に、石神井川がもともとは王子のあたりで流路を変えた、という話題を取り上げました。人工だというのです。
 それを読んだ後改めて、かつて紹介してもらった隅田川についてのサイト「縄文時代の江戸」を読み直すと、真っ向から否定していた部分があったことに気づきます。

「縄文末期の頃に石神井川の王子~飛鳥山で流路が変わる大事件が起きたと考えています。
              (中略)
 洪水による増水で王子と飛鳥山の間で越流が始まれば、幅の狭い陸橋は水流で削り取られて一気にこちらに流路が変わるはずです。あるとき突然に10mの落差の滝が生じた、そんな状況です。
 歴史時代に人為的に開削したという論もありますが、その必要性も痕跡もみあたらず、賛同できません」

 そこで、今回は図書館で追跡してみました。同じ著者のもので、鈴木理生「江戸はこうして作られた」(ちくま学芸文庫・2000年=原著は1991年)では自説を補強しています。
 駒込・谷中の谷田川に流れていた石神井川について、いったんは「現在のように飛鳥山からJR王子駅を経て、直接隅田川に流れるようになった時点は、残念ながらいまは特定できない。…原因が自然的または人為的のいずれにせよ、石神井川が流路を変えたことは確実」とひいた書き方をしていますが、すぐ次のページに
「石神井川の(滝野川渓谷を通じた)ショートカットは『吾妻鏡』が記録された時期と『源平盛衰記』成立の中間で起きた現象で、しかもそれは人為的なものだと推定できる」
としています。

 このままこの説は進められるのかと思ったら、「江戸・東京の川と水辺の事典」(柏書房・2003年)で、あっさり潔く「海側からの浸食と石神井川側からの双方の浸食力で、壁状になった大地の縁が崩壊して石神井川が海側に流れ出した」と自然説を認めたことがわかりました。
 その間の事情は分かりません。きっと激しい論争があったりして、決定的な証拠が出されたり…そんなことは想像ですが、いろいろな提案がなされて、説が落ち着いていくのが分かりました。

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2012年11月23日 (金)

落語の参考書

 ときどき、噺の出自が気になることがあります。調べるには…

 何にも100%はありませんが、ネットよりは書籍のほうが頼りになります(そういいつつ「千字寄席」のサイトは大いに信頼しています)。
 だから書籍の落語資料集も手元にほしいところです。本当は講談文庫で出ていた、興津要「古典落語」上・下・続・続々・続々々・大尾と揃えてあるので、その解説部分だけでもかなり役に立つはずなのですが、なにしろ本を段ボール箱に詰めて家のあちこちにしまいこんで、家族から邪魔にされているのでどこにあるかわかりません。

 デアゴスティーニのDVD「落語百選」のおまけ(?)の冊子も、その時々の配本の演目の解説とは別に、巻末に五十音順の落語演目解題が連載されました。デアゴなので少々信頼性に欠けるきらいがあります。

 以前参考にした、川戸貞吉「落語大百科」(冬青社・2000年)も面白いですが、5分冊のハードカバーを置く余裕はないです。古くは東大落語研究会の「落語事典」(青蛙書房・1969年)とかいろいろありますが、今回図書館で、「定本落語三百題」(岩波書店・2007年)を借りてみました。小咄・落語の研究者、武藤禎夫さんの著作です。

 内容は、さすがにカタい。英語より苦手な旧仮名遣いの文語文がいきなりあらわれたりします。

「加賀の千代」
 下女の寝所へ、亭主が毎晩毎晩夜這いに行く故、女房大きに腹を立て、下女を二階に寝させければ、ある夜又、二階へ夜這に行きし故、女房は下より梯子を引いて置きける。程なく夜も明けたる故、びつくりして降りかけるに、梯子はなし。二階の上り口にて、もぢもぢしているうち、亭主も下女も腹は減る。下を見れば、女房はむまそふに朝飯を食ふている。…

 これは小咄でした。私の知っている三木助のやった「加賀の千代」が別の話で、それについては簡潔に筋を加えています。
 こんな具合でなかなか先に読み進みません。聞いたことのない題名も結構あるので、ゆっくりよんでいこうと貸し出しの延長処理をしました。

 やはり図書館で見かけた矢野誠一「新版・落語手帖」(講談社・2009年、元は1988年)が手元に置くには手頃そうなので、買おうかな。

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2012年11月21日 (水)

外に出るときは落語を持って出よう

 東京まで出るときに、電車の中のお供はもっぱら録音したラジオ放送の落語です。

 ipodやウォークマンなどの携帯音楽プレーヤーを持っていないので、数か月前までは職業柄所有しているICレコーダーにwmaやmp3を落として携帯していました。外国人の声を録音して授業やリスニングテストに使うものです。
 ICレコーダーは4機種買い換えました。初めのころのものが使いづらかったからです。最初は外部メモリが使えませんでした。音質も圧縮が強く、満足できないものもあったのです。録音した音声はPCで処理します。リスニングでは2~3度繰り返します。それをまたレコーダーに戻して学校の放送機器にイヤホンジャックでつなぎます。
 外部メモリもメモステ・スマートメディアなど。次々新規格カードが出て、デジカメなどとも共用できずに困りました。

 保存も音質が悪いだけでなく、独自形式なのもあり、PCにはいったん変換して取り込む操作性の悪いものも。

 そして、最初のものは音楽をプレーヤーに移動できませんでした。かなり後までかたくなにmp3を使える機械は出ませんでした。展示会にでかけて、要望を伝えたこともあります。SONYには、(若い社員は知らないでしょうけど)ICのデンスケを出してくれと言いました。

 今は学校にいないので新しいものは不要で、最後のICレコーダーをそのまま使っています。それでもUSBでつなげるし、mp3もwmaもそのまま放り込めるから、落語音声をPCから移動して電車の中で楽しんでいました。
 携帯プレーヤーのほうが見てくれはいいでしょうけど、使えるものがあるのだから。

 それがここ数か月で携帯に変更になりました。接続ソフトのバージョンが上がって、できなかったmp3の取り込みができることが分かったからです。mp3が取り込めればダウンロード配信の妨げになるのは理解します。
 CDからPC経由の取り込みはできるので、mp3を集めてCDに焼いて、あるいは仮想CDを作って、携帯に持って行けるのは知ってました。でも面倒じゃないですか。

 それにキャリアも気づいたのでしょう、数年前からできるようにしたようです。大学生の息子もこれを知りませんでした。専用ソフトを使って形式を変換しなければなりませんが、これで携帯電話も使えるものになりました。(本当はそのままmp3で放り込みたい)

 BTヘッドフォンで繋いで、荷物も減って快適です。ときどき吹き出すのをこらえるのがつらいこともあります。

 このユーザーの使いにくさがガラケーが世界に通用せず、スマフォを作る体力を失わせたのではないでしょうか。

 本当は、音楽取り込みもBTでできたほうがいいです。そしてブログに使う写真も携帯で撮影しますが、BTでパソコンに持ってくるときは1枚単位で転送操作を繰り返します。だからBTが普及しないんです。

     「角を矯めて牛を殺す」…こんな諺を思い出します。

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2012年11月20日 (火)

筆記体

 もう20年以上前から筆記体は教えません。当時授業数が週3時間に減ったので、大文字・小文字で四苦八苦する子供もいるので、現代に不要と思うものは省きました。ALTに聞いてみると、「おじいちゃんが使ってた」というような反応です。さらに世代が変わればいずれそれもなくなるのでしょう。

 教わった時代の人たちから懐かしむ声が聞こえます。でも使わないものは無駄。その人たちには余裕があって負担にならなかったというだけの話です。

 テレビ放映を録画しておいた「きみに読む物語」(2004年)をみたら、やはり「祖父の時代」なのでタイプライターでさえもなく、確かに筆記体です。

Notebook

 この映画は公開時に見ています。若い二人の恋愛模様の部分は、きれいだなという程度。ギリギリまで肉体関係を持たないのがその時代でしょうか。二人が認知症に悩む老夫婦であることを明かしてからも、若い時代の男性どちらなのかを最後まで迷わせるのは監督のテクニックでした。老人パートは胸を打つものがありましたが、もっともショックだったのは…

 老人がどこかで見た人だなーと思いつつラストシーン直前で、中年時代の写真が老優のそれを合成したもので、ジェームズ・ガーナーだと分かったときでした。

 あの「大脱走」などでの颯爽とした俳優に、元気な姿でまた会えたなんて。大感動でした。ストーリーに関係ないですね。

 「ナイト・ミュージアム」(2006年)で、「メリー・ポピンズ」のディック・ヴァン・ダイクに再会した時も心の中で大騒ぎしましたけどね。

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2012年11月19日 (月)

三木助のお墓にお参りしてきました

 こないだ返却した「三世 桂三木助」は2度読みました。

 中に、こんな描写があります。「ぶらぶらと歩いている最中、道の端に赤い前垂れをかけたお地蔵さんや、小さい鳥居の稲荷の社などがあると、七郎は前まで行って手を合わせて拝むことがよくあった。」

 小さい時から社寺で遊ぶのが好きだったそうです。そしてのちに妻になる仲子に墓がどこかと問われて、「谷中だよ」「なんてお寺です」「観音寺」と答えます

 天気に誘われて用事をこさえて、帰りに谷中に寄りました。こないだの馬生の墓からまっすぐに谷中ぎんざへ向かう途中に観音寺はあります。

 この寺の「築地塀は境内の南面を画する延長37.6mのいわゆる練り塀で,瓦と粘土を交互に積み重ねて造り,潜り戸一所を備える。浅草と並ぶ江戸有数の寺町であった当時の面影を伝える」(文化庁)

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 赤穂浪士ゆかりの寺としても知られています。三木助、小林家代々の墓は墓地の中央部にあります。古いブログで目印とされた木が切られて、なくなっていたのでとまどいました。姿見楼というのは三木助の実家の床屋です。

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 私は縁のない人間なのでただ手を合わせて、死してなお喜びを与えてくれる人に感謝をしました。

 「三世 桂三木助」には柳橋と袂を分かち、落語協会に移籍するときのことも描かれています。

(三木助移籍の)報道に両協会の噺家たちが騒ぎ出した。
「黒門町の独断だ」
「柳枝が死んだ穴に入るとよ。冗談じゃねえ、新入りは下から出直してもらいてえな。アパートの空き室じゃあるまいし、わり込まれてたまるもんか」
「三十年世話になった師匠の顔に泥を塗りやがって」
非難ばかりが轟々と響き…

 そして文楽が腰を上げて収束に向かいます。わり込まれる方は死活問題ですから、最近の、圓楽党と芸術協会でもこんなことがあっても不思議じゃないですね。

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2012年11月18日 (日)

「落語百選」収録会

 古い話ですが、ちょっと画像をあげたくて、記事にします。
 2009年の秋ですからもう3年前になります。その前年から発行が始まった、デアゴスティーニ「落語百選」で、本格的に落語の世界に戻ることになりました。全50冊、後で出た「アンコール」はよその映像を出していますが、これはオリジナルです。映像収録をしているはずなので、ネットで情報を探しました。深川資料館での収録募集を知ったのが事後だったので、気を付けていました。なにしろ本家デアゴでは告知がないのです。

 でもやっと最終収録の応募に間に合いました。新聞読者向けのものを見つけたのです。いくつかの新聞が募集していたようだし、規模がわからないので、家族の名義を使って2日間、昼の部・夜の部に応募したら全部当たってしまったので行きました。

 演目は、う勝「道灌」・さん喬「うどん屋」・雲助「壺算」・扇遊「干物箱」・権太楼「大山詣り」、う勝「目黒のさんま」・百栄「鮑のし」・一朝「淀五郎」・菊志ん「あくび指南」・雲助「幾代餅」
 う勝「紀州」・さん喬「藪入り」・喬太郎「反対俥」・寿輔「小言念仏」・権太楼「居残り佐平次」、う勝「饅頭怖い」・百栄「お血脈」・扇遊「ねずみ」・寿輔「文七元結」

 落語映像は出囃子で舞台全体の引きから、噺家の入場に合わせてズームイン、本編中は客席なし、下げのあと、アップから引いていくのはわかってましたから、1~3列目で中央4人のブロックを狙って席をとりました。派手な服で映像の邪魔はしませんが、ストライプやチェックで区別がつきやすくしています。
 後ろを向いたり、両手をあげて写りこもうなんてとんでもない。入りの拍手を顔の高さで後ろのカメラに入る位置に微妙にずらして叩いてます。

 ・・・というのが下のシーンです。
Deago

 「落語百選」の演者たちは今思うと選定が素晴らしい。ベテランも若手もいますが実力者ばかり、人気があるといって笑点メンバーや世襲落語家を出したりしません。
 こうして私も落語鑑賞復帰を果たし、このあと図書館通いで昭和の名人たちを聞きまくるのです。

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2012年11月17日 (土)

「総合」の末路

 先週いっぱい短い期間でしたが、久しぶりに学校の中に入ってみたら、ちょこちょこ変わっていました。おお、と思ったのは「選択教科」がなくなっていたことです。

 みなさんは「英語」が平成13年まで選択教科だったことをご存じないでしょう。選択といっても、必修の「外国語」の中で英語を選択したという形式でした。実質は必修と同じですから。
 ここでいう「選択教科」は昭和55年から、画一的教育を脱するための第1歩として、生徒の意思で教科を選ぶ時間を設けた、その時間のことです。初めは技能教科といわれる、体育・音楽・美術・技術家庭から選びました。

 ここまではよかった。続いて必修授業を減らして、選択の幅を広げました。ここで大きな問題点となったのは、これまでの選択教科の組み合わせと、増えた国・社・数・理・英の組み合わせは別とされたことです。いわゆる五科目の苦手な生徒の逃げ場が用意されませんでした。必修でさえ仕方なく受けていた子たちが、どれか選んで参加しなければなりません。
 好きで選んでいるのだから意欲的に授業に参加するだろう、という目論見は崩れ去りました。そこで考えられたのが、例えば英語を発展コース、基礎コースとわける方法です。しかし、学年に1人の割合でいる英語の先生が同時に2コースを担当することは不可能です。
 たかだか週1~2回の授業のために英語の先生を増やす予算はありません。つまり、選択教科は予算の支援なしの、我慢と忍耐の場になったのです。

 いずれ失敗するのは現場の人間には見えていたのですが、30年たってようやく、カリキュラムから消されました。

 そして、総合です。詰め込み式授業からの解放、生徒が自ら課題を発見して解決する、と夢のようにうたわれた「総合的な学習」でしたが、この学校では、3学期の校外学習(=遠足)の準備の時間になっていました。
 以前の学校では農作業の時間になってましたし、「課題発見」なんてかけらもありません。ま、ゆとり教育も終わったわけだし、平成14年に始まった「総合」を残しているのは役所的な意地を見せているにすぎません。あと20年かけるつもりなのでしょうか

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2012年11月16日 (金)

ちょっと学校に行きました

 昔、一緒に働いた、今は校長になっている方から頼まれて1週間だけ中学校のお手伝いに行ってきました。病気でおやすみになった英語の先生がいて2週間たっても代わりが見つからないので、私の名を思い出したらしく直接電話をもらったのです。

 正直言って気が進みませんでした。今の学校というものにあまり希望を持っていないからです。でもその先生はいい方でしたので、お願いされたら手伝いたくなります。

 先週半ばにその話は来ましたが、学校というところはすぐは働けません。まず私に犯罪歴や禁治産処分がないことを私が証明する必要があります。また、一番は結核が生徒に蔓延することを恐れてですが、健康診断書を提出する必要があります。自費です。

 なにより役所的なのは、臨時の教師というのは、希望者が登録してあってその中から選ぶシステムです。ところが私は登録をしていないので、希望のないのにもかかわらず、まず「臨時の仕事があったらまわしてください」と県にお願いに行くのです。

 登録を年度初めにしてあっても、10月を超えて自宅で待機する人はいません。登録のあった人は「今の仕事が…」と断るはずです。なので在宅で、おまけ塾をやっている私にお鉢が回ってきたというわけです。教員免許も来春で切れるので、最後のご奉公と思いました。

 病気の休暇は1か月ごとなので、とりあえず11月末まで。途中で病気が治れば、臨時の穴埋めはお払い箱です。そんなことは承知の上で、お引き受けしたのですが、やはりそうしなければよかった。

 基本的には生徒の態度もよかったのですが、職員室が冷たい。初日から新参者に声をかける人がほとんどいないのです。何か悪いことをしたのかと思いました。

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2012年11月14日 (水)

老ぃ

 ネットでも話題に上がっていますが、NHK日本の話芸での小三治にハッとしました。明らかに、間をとっているのではなく、言葉が出てこない様子があるのです。あれだけ言葉の引き出しのある人が、と。
 噺は「甲府ぃ」で、好みはわかれるでしょうが、私は好きな噺です。災難にあった若者が幸福になるプロセスに無理がない。同じように商人の娘に見初められるのでも、現代と恋愛観が違うとはいえ、「おかめ団子」だといきなりすぎて幸せがとってつけたように感じます。

 ストーリーはオチのためにあるだけで一本調子で進むわけですが、数ある地口落ちの中でこのサゲは秀逸な駄洒落だと思うのです。

 唯一、昭和の名人たちの衣鉢を継ぐと思える人だけに、73歳という年齢とはいえその兆しを見てしまうと、胸を突かれます。

 数年前にNHK”プロフェッショナル仕事の流儀”で、脳科学者の茂木さんに「昔出し物にしていた話が今思い出せない、どうしたら」と打ち明ける場面がありました。これはリップサービスで小三治自身が知らないわけないと思うのですが、茂木さんは答えをはぐらかしてました。方法は一つだけで圓生のように、「タクシーに乗り込んだらすぐ稽古を始める、旅先の宿で寝付かれないから一晩中稽古を…」しかないはずです。

 教えている子供たちに趣味は落語、というと古い人の趣味だというように受け止められます。確かに若い時の輝きと違うものを高齢の名人に見ることができます。

 その日その日で体調が異なり、毎日が絶好調ではないでしょう、また切れのいい高座を見ることができると信じて。

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2012年11月11日 (日)

英検・面接

 今日は、英語検定の2次試験、面接の日です。希望者を募って、英検クラスを設けて練習してきました。1次をぎりぎりで受かってこの日を迎えました。
 本人たちも意欲が出たらしく、昨日は面接の特訓をしてくれというので、過去問を何問もやりました。英検の価値はこの2次試験にあるので、いくら1次試験で高得点でも「英語を話せるかどうか」は別物です。ただし、2次試験で使われている英語の難易度は1次試験のものより数段簡単になっているので、3級合格でやっと4級の会話力に値すると考えています。しかも5分程度の時間では短すぎるのと、2次の採点基準が下に抑えられている傾向がある(=受かりやすいとの評がある)ので、どうしても会話力向上には直結しません。
 TOFLE・TOIECは私が社会人になる前には知名度がなかった?ので全く受けたことがありませんが、スピーキングの能力の比率は高くないようです。

 さて、猛特訓の甲斐あって、練習が終わるころにはスムースに答えが口から出るようになりました。雑談で試験のことを質問しました。学校外でテストを受けるのは初めてなのでしょう。

 「会場はどこ?」「S高校」
 「一人で行くの?」「友達と行きます」
 「どこの駅で降りる?」「A駅です」   (本当はN駅)
 「何時に集合?」「来た順に試験をやるって」  (ンなことはない)
 「受験票に書いてあるでしょ」「見てません」   (おいおい)
 「N駅って行き方わかる?」「知りません」
 「O駅でK線に乗り換えて…」「T線じゃないんだ、O駅の西口で降りれば行けますか」「ダメです、駅の中でX番線に行って…」

 試験の前日にこんなトンチンカンなやりとりで、中2って”こども”なんだなーとつくづく思いました。

 ところで文科省のうしろだての英語検定に対抗?して、外務省の管轄の「国連英検」っていうのが何年も前から学校にチラシを送って来るようになったことがあるのですが、たくさん受けているのかしら?

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2012年11月10日 (土)

実体験とことば

 小学生に、果物・野菜・動物の英単語から教えていると、何人かが知らないものを教えていることに気づきます。英語を知らないのではなくて、ものを知らないのです。

 動物の場合は、ある程度知らないことを予想して教材にしています。ビーバー・ナマケモノ・カモノハシを知らなかったようなので、映像を見せました。アイアイは幼児向けの歌が有名ですが、実態を知る子はめったにいません。私も大人になってかなり後に知りました。映像を見ると現地で悪魔とみられて殺されたのも納得できます。
 魚なんか切り身しか見たことがないんでしょうね。サケのイラストを見ても分からない。タラなんてさっぱりです。タラは大人でもわからないか。

 果物ではイチジク・ザクロを知らない子がいました。私なんか子供のころ、近所の木からもいで食べたものですけど。そういう生活自体が変わってしまったのですね。そういえば最近は自分も食べていないことに思い当たりました。
 そこで、名残りのイチジクを買ってきて、授業中にひとかけ食べさせました。熟しが足りなかったようで、口に入れて、顔をしかめました。あとで自分も食べて甘みが足りませんでしたが、これも経験。今度 Is a fig good? と質問したら、No! と答えてくれるでしょう。今度ザクロも手に入れてみましょう。来年にはビワも。
Fig

 パッションフルーツやマンゴスチンも知らないようですが、これはまだまだ身近になってないってことでしょう。

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2012年11月 9日 (金)

Wikipedia

 Wikipediaは資料としてとても重宝します。授業のネタを結構拾います。でもその場で済んでしまうような題材はいいのですが、間違いもあるので重要なことの断定は避けます。

 続けて数度、他の方のブログに、落語に真摯に向き合っているのがわかるので、指摘をさせていただいたことがあります。冷静に受け入れていただきていねいなコメントも頂戴し、対応は済ましておいでです。

 その後、他にあちこちでWikiそのものを写した情報を見かけますので、検索したときにこのページもかかるように、あえて検証記事にとりあげます。この記事は後半の、「図書館で調べました」がメインです。
  のちに書き換わってしまう可能性があるので、該当部分をWikiからそのまま引用すると


そば清(そばせい)は古典落語の演目の一つ。元々は上方落語の『蛇含草』という演目で、3代目桂三木助が東京に移植した。主な演者に4代目三遊亭圓生、2代目桂小金治、林家木久扇などがいる


 餅を食う「蛇含草」をそばに直したのが三木助と書いてありますが、この文章内に矛盾があって、4代目圓生は1846年(弘化8年)8月 - 1904年(明治37年)の人なので(Wikiより)、1902年生まれの三木助(Wikiより)の移植した噺の演者にはなりえません。三木助が「蛇含草」を東京に持ってきて演じ、餅を食うしぐさでウケたようなのでそのへんが混同されたのでしょう。

 また圓朝全集に「そばの羽織」が掲載されているという情報もあります。実際に圓朝全集を確認しようと、おいてある図書館を調べると貴重本として禁帯出としてあるところがかなりあります。そのあたりは項を改めるとして、情報が正しいかどうかは、タイトルを確認できればよいので、電話で問い合わせてみました。図書館にはリファレンスサービスがあって、簡単なことなら代わりに調べてもらえます。
 角川版の第7巻に「羽織の蕎麦」が掲載され、作品解題に3行ほどの解説があるので読んでもらいました。「蕎麦を餅に代えて『蛇含草』ともいう。圓朝の父円太郎が上方より移したともされる」 そこまでが正しいかどうかはともかく、江戸時代から東京にあったのは間違いなさそうです。

 Wikiの、例えば鉄道関係の記事は事細かにこだわるマニアが常に修正していそうな印象を受けます。それにくらべれば落語の記事は雑のようですね。マ、調査のきっかけとして使うのがよろしいということでしょう。

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2012年11月 7日 (水)

初台から新宿

 天気が良いのに誘われて、志ん朝のDVDがおいてある渋谷区本町図書館に行ってみました。山手線から西側というのはあまり行ったことがありません。初台(新宿区)の駅も以前に降りたことがありません。

 初台は地名通り緩やかな頂点になっているようで、渋谷区に入ると下り道でした。静かな住宅地の中のこじんまりした図書館です。図書館そのものについては、東京都内図書館全部制覇(島嶼部を含む)というものすごいサイトがあります。うちのブログではあくまで落語関係だけ。
 渋谷区のDVDは映画もこの図書館にまとめてあるようです。だから渋谷区のDVDはみんな貸出禁止。ここに来館して鑑賞することになります。
 借りたテープを返却して、あわよくば志ん朝DVDを見て帰ろうと思ったのですが、5台ほどあるTVはすべて埋まっていて、壁のタイムテーブルを見ると、2時間ほど待たなければならなそうなのであきらめました。日によっては朝から並ばなくてはいけないそうです。
 ここはDVDを閲覧者が操作することはなく、カタログから選んで係員に申し込むと、貸し出しデスクの裏手の再生機に入れてくれて、席で鑑賞する方式です。国会図書館と似ていますが、国会図書館では手元で再生・停止をコントロールできます。こちらは流しっぱなしなので、落語を研究するには向きません。
 レーザーディスクの再生機、そして圓生のLDもあったりします。いまどきLDを借りようという人はないでしょう。渋谷区が他の区のようにDVDを貸すようになれば、志ん朝の落語研究会を貸してくれるのかもしれません。

 帰りは電車に乗らず、甲州街道をそのまま新宿まで歩きました。しばらく歩くと文化学園大のあたりで、角筈の地名が見えました。ひところ圓生も角筈に住まっていたはずです。そのすぐ前には時代のかかった寺がありのぞいてみました。諦聴寺といって享保の時代の木像聖徳太子立像があるそうですが拝観はできませんでした。

 ちょいと回転寿司でつまもうと店に入りました。店内で仕込んであるという言葉に惹かれたのですが、とんでもない代物で2皿食べて帰りました。隣の席に外人カップルがいて、これを食べさせるなんてかわいそうと思いながら店を出ました。
 甲州街道は新宿駅南口に直結です。そのまま電車に乗りました。

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2012年11月 5日 (月)

変わる言葉

 最近、NHKのアナウンサーでも間違える、使われる意味合いが変わってしまった日本語が取りざたされます。私も、文章を書くときは”ら抜き言葉”は使わないようにしています。というか使うと違和感を覚えてしまいます。
 若いころは生徒にも注意をしたことがありますが、数十年たつとすっかり定着して、子供たちに向かって言うときは、あえて”ら抜き”にします。

 直近でおもしろかったのは”浮足立つ”。本来は、「油断していたところに夜襲を受け、兵たちは浮足立った」のように、恐怖から右往左往する、というような意味らしいですが、「浮く」の語感からか、「ひいきのチームが連勝して浮足立った」のようにウキウキした気分で使ってしまっているそうです。
 自分を振り返ると、どうかなと考えましたが、この言葉を使った覚えがありません。でも「浮かれた」用例にも違和感はあまりなかったところを見ると、容認しているのでしょう。
 実際、文化庁が発表した「国語に関する世論調査」で示された、誤用の割合が本来の使い方を上回っているという、“にやける”は自分も誤用のほうで使っているのがわかりましたから大きなことは言えません。

 落語だって、古典にできるだけ昔のまま残っていてほしいと何度も記しましたが、ウケなきゃいけない、通じなければいけないわけで、昔としては正しくても今の人が聞いたら意味が通じないものは置き換えていくしかないのでしょう。

 こないだ、息子と言葉がかぶってしまいました。私の口からつい、「ハッピーアイスクリーム」。
 子供はきょとんとしてました。自分の子供時分にもなかった言葉でしたが、教師になって生徒と一緒に使うようになりました。そしていつのまにか溶けてなくなっていたのでした。

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2012年11月 4日 (日)

落語研究会DVD

 野球に決着がついて、日曜は無事にTBSラジオ寄席が放送されました。金馬の冒頭を聞く限りでは市販音源でした。一応PCの回復を待って、チェックはするつもりです。
 金馬は寄席から締め出されても、ラジオで絶大な人気を誇ったそうです。今聞いても歯切れの良い、耳に心地よいリズムで伝わります。姿が見えないことからタブーとされていた声色の使い分けも取り入れたともいわれ、アンツルさんなどの批評家からは下に見られたとも。

 確かに落語は動作も大きくなく、今のテレビから締め出される状態もやむ得ない面もありますが、たまにはきれいな映像で見たい時もあります。
 すでにビデオは劣化が激しいことがわかっていますから、同じ映像であっても、ここは竹書房・小学館からでているTBS落語研究会DVDで見たいところです。なによりビデオ時代より大量の高座が収められているのがすばらしい。
 さすがに国会図書館にはすべて納本されています。圓生・志ん朝・正蔵・小三治・馬生と今年出たばかりの小さん、ききませんが圓楽・文枝・吉朝すべてです。しかし国会図書館に出かけてこれをすべて見るのは容易ではありません。
 しかし自治体図書館に目をやると、今のところ唯一渋谷区が志ん朝のセットを保有しています。しめたと一瞬思ったのですが、禁帯出のしるしが。貸し出しはなしで、館内の閲覧だけに限られます。やはり見るために通うには無理がありますね、落胆しました。

 図書館でも映画などのビデオは貸し出しをするようになっているのですが、渋谷区は禁止にしているようです。

 ビデオを持っている図書館が、劣化を認識してDVDに切り替えてくれるといいのですが。でもほんとに貸し出したらどれくらいの待ち人数になるのか、恐ろしいです。

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2012年11月 2日 (金)

三世 桂三木助

 リカバリしたPCがさっそく不調です。直後に保管したバックアップから書き戻してもみましたが、同じ不具合が発生します。うまくスリープに入れないのです。
 定めです、仕方ありません。バックアップはもう捨てて、またリカバリです。これでだめならハードの故障か…

 だから、またパソコンのそばについて、再起動やシリアル番号の指示待ちで、読書がはかどりました。山本昌代「三世 桂三木助」(新潮社・1997年)です。
 描きやすい人とそうでない人がいるのでしょうが、これまで読んだのは圓朝と志ん生でした。自伝・エッセーは結構出ていますが、圓生では芸談ばかりで小説になりにくいのでしょう。文楽や志ん朝も難しいかも。
 以前「三木助歳時記」を読みましたが、この人は小説の題材になるんですね。繰り返し取り上げられているとは知りませんでした。

 確かに博打に生活をむしばまれ、踊りの若い弟子の仲子との出会いにより立ち直って、名声を得る、波の多い人生です。話題には事欠かないでしょう。
 でもこの本はそのあたりは予想したよりさらりと流しています。初めのうち作者は何を描きたいのだろうといぶかしく思いました。239ページの短めの書き下ろしなので一気に読み進めて、途中三木助の高座姿の美しさを描写する文に納得をしました。この本は三木助が求めた美について描いたのですね。
Sannsei

 アンツルが予定して完結しなかった、三木助の死で物語は閉じられます。あれも三木助の美学なんですね。熊谷直実の故実から生まれたとは知りませんでした。この部分もよかった。志ん生が呼ばれ、文楽が呼ばれ、ちゃんと柳橋も来ていました。

 三木助の高座の映像はないはずですが、ぜひ見たいものです。

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2012年11月 1日 (木)

きれいになりました

 熈代勝覧のフラッシュがきれいになりました。

 とはいえ、自分のメインブラウザのChromeでは見られなくなってしまいました。IEでは見られるので、ファイルが大きくなりすぎたからなのか…
 画像がきれいになったのとボリュームオン・オフをつけただけで、他のデータは前のまま流用しているだけです。読み込みに時間がかかるからと言ってローディングの画面が出るわけじゃないし、HPの体裁はなってません。しばらく改善しないと思いますので、興味のある方に、どうぞ

Kidai

 せっかくASの使い方を少しずつ理解してきているのにきっともうすぐ時代遅れの技術になってしまうんでしょうね。

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