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2012年11月19日 (月)

三木助のお墓にお参りしてきました

 こないだ返却した「三世 桂三木助」は2度読みました。

 中に、こんな描写があります。「ぶらぶらと歩いている最中、道の端に赤い前垂れをかけたお地蔵さんや、小さい鳥居の稲荷の社などがあると、七郎は前まで行って手を合わせて拝むことがよくあった。」

 小さい時から社寺で遊ぶのが好きだったそうです。そしてのちに妻になる仲子に墓がどこかと問われて、「谷中だよ」「なんてお寺です」「観音寺」と答えます

 天気に誘われて用事をこさえて、帰りに谷中に寄りました。こないだの馬生の墓からまっすぐに谷中ぎんざへ向かう途中に観音寺はあります。

 この寺の「築地塀は境内の南面を画する延長37.6mのいわゆる練り塀で,瓦と粘土を交互に積み重ねて造り,潜り戸一所を備える。浅草と並ぶ江戸有数の寺町であった当時の面影を伝える」(文化庁)

Tuijibei

 赤穂浪士ゆかりの寺としても知られています。三木助、小林家代々の墓は墓地の中央部にあります。古いブログで目印とされた木が切られて、なくなっていたのでとまどいました。姿見楼というのは三木助の実家の床屋です。

Sugatamiro

 私は縁のない人間なのでただ手を合わせて、死してなお喜びを与えてくれる人に感謝をしました。

 「三世 桂三木助」には柳橋と袂を分かち、落語協会に移籍するときのことも描かれています。

(三木助移籍の)報道に両協会の噺家たちが騒ぎ出した。
「黒門町の独断だ」
「柳枝が死んだ穴に入るとよ。冗談じゃねえ、新入りは下から出直してもらいてえな。アパートの空き室じゃあるまいし、わり込まれてたまるもんか」
「三十年世話になった師匠の顔に泥を塗りやがって」
非難ばかりが轟々と響き…

 そして文楽が腰を上げて収束に向かいます。わり込まれる方は死活問題ですから、最近の、圓楽党と芸術協会でもこんなことがあっても不思議じゃないですね。

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