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2012年11月24日 (土)

石神井川

 トンデモ本の類は世に出回っていますから、Wikipediaに限らず書籍だってソースにするときは慎重にしなければいけないことがあります。

 江戸文化の番組で言っていましたが、いわゆる生類憐みの令で犠牲となった人は何人か、は書籍によってまちまちだそうですね。新井白石も前代の綱吉政治との違いを強調するために大げさな数値を記録したといいます。

 以前に検証されていなかった説を立てて書籍に記したあと、それがどうなるか。

 以前に、石神井川がもともとは王子のあたりで流路を変えた、という話題を取り上げました。人工だというのです。
 それを読んだ後改めて、かつて紹介してもらった隅田川についてのサイト「縄文時代の江戸」を読み直すと、真っ向から否定していた部分があったことに気づきます。

「縄文末期の頃に石神井川の王子~飛鳥山で流路が変わる大事件が起きたと考えています。
              (中略)
 洪水による増水で王子と飛鳥山の間で越流が始まれば、幅の狭い陸橋は水流で削り取られて一気にこちらに流路が変わるはずです。あるとき突然に10mの落差の滝が生じた、そんな状況です。
 歴史時代に人為的に開削したという論もありますが、その必要性も痕跡もみあたらず、賛同できません」

 そこで、今回は図書館で追跡してみました。同じ著者のもので、鈴木理生「江戸はこうして作られた」(ちくま学芸文庫・2000年=原著は1991年)では自説を補強しています。
 駒込・谷中の谷田川に流れていた石神井川について、いったんは「現在のように飛鳥山からJR王子駅を経て、直接隅田川に流れるようになった時点は、残念ながらいまは特定できない。…原因が自然的または人為的のいずれにせよ、石神井川が流路を変えたことは確実」とひいた書き方をしていますが、すぐ次のページに
「石神井川の(滝野川渓谷を通じた)ショートカットは『吾妻鏡』が記録された時期と『源平盛衰記』成立の中間で起きた現象で、しかもそれは人為的なものだと推定できる」
としています。

 このままこの説は進められるのかと思ったら、「江戸・東京の川と水辺の事典」(柏書房・2003年)で、あっさり潔く「海側からの浸食と石神井川側からの双方の浸食力で、壁状になった大地の縁が崩壊して石神井川が海側に流れ出した」と自然説を認めたことがわかりました。
 その間の事情は分かりません。きっと激しい論争があったりして、決定的な証拠が出されたり…そんなことは想像ですが、いろいろな提案がなされて、説が落ち着いていくのが分かりました。

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コメント

なるほど・・・・という感想です(^^)
興味深いですねえ。
縄文時代は縄文海進等もあり、色々と流路が変わった可能性もありますねえ。

色々と調べなくてはいけない事が増えました。
楽しいですね(^^)

投稿: hajime | 2012年11月25日 (日) 09時01分

駒込付近を歩いて、暗渠化された谷田川のことは早くから知っていました。谷中を過ぎると「へびみち」で川の蛇行が残ります。でも谷田川は頭がなく、どうしてあの坂・谷を刻んだのかはしばらく不明でした。石神井川なら十分なパワーを持っていますものね。
その流路変更も、定説は最近になってのことだったわけで、江戸にはまだまだ謎があるようです。

投稿: snob | 2012年11月25日 (日) 13時47分

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