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2012年11月14日 (水)

老ぃ

 ネットでも話題に上がっていますが、NHK日本の話芸での小三治にハッとしました。明らかに、間をとっているのではなく、言葉が出てこない様子があるのです。あれだけ言葉の引き出しのある人が、と。
 噺は「甲府ぃ」で、好みはわかれるでしょうが、私は好きな噺です。災難にあった若者が幸福になるプロセスに無理がない。同じように商人の娘に見初められるのでも、現代と恋愛観が違うとはいえ、「おかめ団子」だといきなりすぎて幸せがとってつけたように感じます。

 ストーリーはオチのためにあるだけで一本調子で進むわけですが、数ある地口落ちの中でこのサゲは秀逸な駄洒落だと思うのです。

 唯一、昭和の名人たちの衣鉢を継ぐと思える人だけに、73歳という年齢とはいえその兆しを見てしまうと、胸を突かれます。

 数年前にNHK”プロフェッショナル仕事の流儀”で、脳科学者の茂木さんに「昔出し物にしていた話が今思い出せない、どうしたら」と打ち明ける場面がありました。これはリップサービスで小三治自身が知らないわけないと思うのですが、茂木さんは答えをはぐらかしてました。方法は一つだけで圓生のように、「タクシーに乗り込んだらすぐ稽古を始める、旅先の宿で寝付かれないから一晩中稽古を…」しかないはずです。

 教えている子供たちに趣味は落語、というと古い人の趣味だというように受け止められます。確かに若い時の輝きと違うものを高齢の名人に見ることができます。

 その日その日で体調が異なり、毎日が絶好調ではないでしょう、また切れのいい高座を見ることができると信じて。

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コメント

 最近の小三治は見ていないので判りませんが・・・最も最近の小三治を見たのは・・・去年の元日のテレビで、鈴本の中継をやった時に「初天神」だったかをやったのをちょこっと見たのが最後だったと思います。

 落語協会の会長になった時にテレビで様々に報道されましたが、「年齢なりの衰え」が見られました。
 「長生きも芸の内」ってのは、「長く生きている事が芸だ」と云う意味ではなくて「芸の完成には何年も掛かる」と云う意味ですね。

 「悠々として急げ」と60歳で亡くなった作家の開高健さんが云いましたが、噺家として自分の芸風を完成させるには、怠けている暇はないんですねぇ。噺家って商売は死ぬまで現役とは云え、50歳になったらそろそろ芸を確立させないと、30年後にも語られる噺家になりませんね(^ω^)

投稿: 藪井竹庵 | 2012年11月15日 (木) 13時32分

 いや、夏に独演会に行ったときには全く衰えを感じなかったので、特に、どうしたのかと思いました。だんだんと変化するのは避けられないですが、つい、いつまでもと思ってしまうんですね。

>完成させるには…
 おっしゃる通りです。寄席ではそこそこ面白く感じられてしまうので、そこで進歩をやめちゃう人がいるんですね。

投稿: snob | 2012年11月15日 (木) 18時05分

私も、この夏に自宅近くの独演会に行きました。
見た目はともかく話のほうは気になるようなことはありませんでした。
「日本の話芸」は終わりごろを少し見ただけですが確かに何度も詰まってましたね。
そのときちょっと体調でも悪かったのでしょう、ということにしておきましょう。

「仕事の流儀」も見ました。内容は忘れましたが、司会の方のとんちんかんな受け答えに
イラッとして「落語を知らないんなら小三治呼ぶな」と思ったのを憶えています。

最近は落語の話をするときも「先代の」とか「N代目の」とかをつけないといけないことが多くなってきました。
さびしいかぎりですけど、しょうがないですね。

投稿: 上山完 | 2012年11月18日 (日) 11時48分

上山さん初めまして、ようこそいらしてくださいました。

仕事の流儀は、自分でも録画しましたし、DVDも出ていて借りました。

>N代目

うちのブログの場合は、対象が固定ですので代数を付けていません。それ以外の時に区別するようにしています。

そのあたりの話題をネットを通じてできればうれしいです。よかったらリピしてください。

投稿: snob | 2012年11月18日 (日) 15時41分

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