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2012年12月29日 (土)

吉原花魁日記(朝日文庫)

 江戸について調べていると、どうしても避けられないのは吉原です。

 落語のマクラでは、なぜああいういい所がなくなったという言葉が発せられることがあります。もちろん本気ではないと思うのですが、江戸時代のある時期は文化の発信地であったことは間違いないでしょうし、現在でもなお人々の興味を引き、多くの書籍が発行されています。かつてのNHK「ブラタモリ」やBSTBS「謎解き江戸のススメ」でも避けて通るわけにはいきませんでした。

 ただし、吉原については書籍でもネットでも間違った情報の孫引き、ひ孫引きが多くみられ、引用も気を付けなければなりません。
 で、花魁自身が記録を残したものがないか探していたところ、時代は下りますが、この本と続編の「春駒日記」に行き当たったわけです。
Oirannikki

 著者の光子は明治38年高崎市生まれ、大正13年に貧困から19歳で吉原に売られます。廓は写真見世となっていましたが、それでも江戸の名残が色濃くありました。当時の19歳は世間知らずで、どんな場所か知らずに放り込まれて、数日後に処女を奪われ世への復讐を誓い、日記をしるすようになります。女衒・楼主・客を憎み、常に心は清くありたいと思うのですが、数か月後には「ゆうべは客を十二人とる」と記録する状況になります。

 そして2年後、自由廃業を決意し、脱出、追っ手におびえながら、女流詩人として名をはせた柳原白蓮のもとに身を寄せて自由の身となります。

 のちに出版したこの手記には、当時の出版検閲による伏字が復元されずに残りますが、具体的にどう搾取されたかが克明に描かれます。客の支払いのうち7割5分を楼主がとり、のこりの1割5分は借金の返済にまわされます。手元にくる1割から種々の経費を払うとほとんど残らず、客がつかないと罰金を科せられ、紋日の着物も法外な値段、客が壊したものは花魁が弁償と、借金が膨らむ仕掛けになることがわかります。

 花魁たちは、それなら客をだまして金を巻き上げてやろうという気になります。
 また、苦界の中にも間夫を見出して安息を得ようとします。

 警察も娼妓を守ることはなく、病院であっても患者は搾取をされます。治療代はさらに借金となります。兵士には休むべき日中に安価で売らなくてはなりません。

 この公娼制度はGHQの指導でなくなるまで続きました。

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