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2012年12月15日 (土)

落語大百科(冬青社)

 2000年発行です。691演目を収録。うんちくの量が半端ない川戸貞吉さんが事典を作ると、ハードカバー5冊になってしまいます。まえがきを読むと「…それを見届けに天国から来たのが立川流家元立川談志なのであり…」が目に飛び込んできてびっくりしました。よくみると談志本人のしゃれのめした献辞なのでした。
 子供のころの百科事典も、順に刊行されて配本が完了するにはかなりの期間がかかりました。これも半年に一度の刊行で、完結まで2年かかっています。おかげで読者から途中で情報が入って、ないと思われていた、圓生「権兵衛狸」・正蔵「おかふい」のエアチェック音源を譲ってもらった話などが挿入されます。放送局がマスターを残していて日の目を見れば素晴らしいのですが。
Hyakka

 これを本棚にそろえるとどの巻に何が入っているのか困ります。本の百科事典であれば50音が示されているところですが。ちなみに、1巻「あ~か」2巻「き~しょうぎ」3巻「しょうぐ~なかやのさ」4巻「なかやのは~ほ」5巻「ほ~わ」です。

 そのうんちくを楽しむ本ですね。では「時そば」で味わってください。

【時そば】
 俗にいう二八そば、一杯十六文のそばを売る歩く夜鷹そばを呼びとめて、そばを注文した男がお世辞タラタラ。「俺はこれから手なぐさみに行くんだが、お前ンとこの屋号が的に矢が当たってて、“当たり屋”とは縁起がいい」にはじまり、「注文してすぐに出来てくるのは江戸ッ子にとってありがてえ」「割箸を使ってるとこァ綺麗でいい。綺麗といえば器も綺麗だ」「鰹節をおごってるから実にいいダシで美味い」「細くて腰が強くていいそばだ」「ほかのそば屋は竹輪麩をつかってるが、お前ンとこのは本物の竹輪だ」と褒めること褒めること。食べ終わって勘定となると、「銭は細けえんだ、手ェ出してくれ。一ィ二ゥ三ィ四ゥ五ッ六ゥ七八ァ」と手渡しながら「何刻だい?」「へえ九ツで」「十、十一、十二、十三、十四、十五、十六」と銭を払っていってしまった。一文誤魔化したわけである。これを脇で見ていたのが、少しばかりボオッとした男。「あまり世辞ばかりいいやがるから食い逃げかと思ったら、銭を払っていきゃァがったからますます勘弁出来ねえ」とブツクサいっていたが、そのうちに刻を訊いて一文かすめていったことに気がつき、えらく感心。「よーし、俺もやってやろう」と翌くる日細かい銭を用意して待ち受けていた。やがて丸屋というそば屋がきたが、昨夜の当たり屋とは大違い。なかなかそばが出来上がらず、箸も使いまわしの丸箸ときた。ヒビだらけの容器に苦いダシ、うどんかと思えるほどの太いそば、入っているのも竹輪ではなく本物の麩と、食べているうちに嫌になるようなそばだった。でもまだ感情を誤魔化す楽しみがあると「銭は細ッけえんだ、手ェ出しねん。一ィ二ゥ三ィ四ゥ五ッ六ゥ七八ァ、何刻だい?」「へえ四ツで」「五ッ六ゥ七八ァ……」

 私がこの噺をはじめて聞いたのは、まだ小学校四年生ぐらいの頃だった。演者は六代目春風亭柳橋。戦後の混乱期に五球スーパーのラジオから流れてくる『時そば』を聞いて、柳橋の妙な節回し、「あッはッはァ」という笑いとも合いの手ともつかない調子を、一遍で覚えてしまったものだ。
 戦後落語の花が豪華に咲き乱れた頃に大学生になった私は、本格的に落語の世界へ没入しはじめた。当時の好事家が口を揃えて褒めたのは、三代目三木助の『時そば』だった。安藤鶴夫ことアンツル先生を中心にしたグループが特に絶賛したのが、「あッ、月が見えらァ」と竹輪の薄さを表現した三木助の手法であった。
 いまならば「何をいってやァんで」といいきれるが、何せ落語に熱中しはじめた頃である。「ああ、なるほどそういうものなのか」とえらく感心してしまったような、いささかくすぐったい思い出もある。
 現在、そばを食べるくだりを表現も豊かに、細かく、きちんとしたしぐさで演じる第一人者は、五代目の現柳家小さんである。華麗に、粋で、それでいて克明なしぐさ、きちっとした型が賞賛された、あの戦後落語の開花期を彷彿とさせるものがある。
 これに対して五代目古今亭志ん生はどう演ったか。不幸にも私は志ん生の『時そば』を聞けなかった。以下は現三遊亭円楽からの受け売りだが、志ん生は箸として扇子を使わないでそばを食べたという。扇子が目の前に置いてあるのに、それを使わず指で食べたのである。
 美学尊重の当時の好事家が志ん生を認めなかったのは、こうした演り方に対してであろう。これも人から聞いた話だが、のちになってアンツルさんは、さんざん悪くいったことに関し、志ん生の家に謝りにいったという。
 それはさておき、話を『時そば』に戻すことにするが、「師匠、どうして扇子を使わないんですか?」と円楽が訊いたときの志ん生の答えがすごい。
「お前さんねェ、この噺はなァ、そばァ食うとこ見せんじゃァないの。ゼニを誤魔化す噺なんだぜ」
 なんとすごい言葉であろうか。志ん生のすべてが表現されているではないか。志ん生の落語のとらえ方がにじみ出ていると思う。
 むろんこの場合、扇子を使ったほうがいいに決まっている。しかし、それでもなお志ん生に魅かれるのは、落語を見つめる志ん生の目のしたたかさのせいなのだ。
 この噺、大阪では『時うどん』というが、桂文珍が英語落語に翻案した。英語落語といえば亡くなった桂枝雀を思い出すが、文珍のは文字どおり英語ばかり、日本語をひとつも使わないのだ。なのに、はじめて英語を聞く人でもよくわかる。なぜかといえば、文珍の前に上がった者が、『時うどん』をきっちり喋るしかけになっているからである。

◆おすすめ 柳家小さん、古今亭志ん朝、柳家小三治

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コメント

この本はウンチクというか川戸さんのプロデューサとしての噺家さんとのエピソードが楽しいですね。
hajimeさんがblogで「夢の酒」を取り上げて淡島さまと夢見の謂われが話題になったことがありました。ネットや神道の本で淡島さまのこと調べても針供養とかは載ってるんですが、夢見についてはそれらしき記述が見当たらないんですね。
それが、この本の「夢の酒」の項を見たら、同じく疑問に思った川戸さんが文楽師に尋ねたエピソードが載ってるんです。(その回答はいま手元に本が無いので書きません。)

この本も出来れば手元に置きたいのですが、全巻揃えるとなると高くつきます。ちくま文庫あたりで出してくれないかしら。

投稿: nam | 2012年12月16日 (日) 18時15分

そうでしたか。私もこのセット全部を見ていないので…
今度、「夢の酒」の項目も読んでみます!うちの町にもないのでまた出かけた折にでも。

各事典(?)で性格が違ってて、この読み比べの作業もなかなか楽しいものでした。

投稿: snob | 2012年12月16日 (日) 19時30分

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