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2013年2月 7日 (木)

教育と体罰(1)

 大阪の高校体育科を始まりに、いろいろな学校、果ては柔道日本女子代表など体罰が思い出したようにクローズアップされています。

 私は既に傍観者であるのに、これはまた困った状況になったなと思いました。教育現場がまた萎縮するからです。
 よく、学校しか世の中を知らないのに、と教師が批判されることがあります。でも世の中のすべてを経験した人というのはあり得ない。同じように外部の人は学校の中を、生徒でいたにもかかわらず知らないのです。

 こういう書き出しだと誤解を受けるかもしれないので、あらかじめ書いておきますが、教育の場から一切の暴力はなくなるべきです。今はそこへ向かっている過程かもしれません。できるだけ早くそういう社会を実現できるといいですね。

 なぜ、指導の場に暴力があるのか。遠回りしつつも考えたいと思います。

 日本は遅れているのは間違いありません。英語のことわざにSpare the rod, spoil the children. というのがあります。欧米でもかつては教師は、鞭を教室に持ち込み、罰を与えていました。彼らはそれを先に卒業したのでしょう。

 人間が文明を発達させえたのは、おばあさんの存在だったといいます。動物にしては異例の長寿命を持つ人類は、生殖と生産の役割を終えた人が、知識を伝えたり育児の補助をしたことで子どもが増えたそうです(NHKスペシャル)。

 実は”教える”ということは、特殊な技能ではなくて、誰にでもできることです。というか、誰でもしている。幼稚園の集団で5歳児が3歳児にものを教えるシーンはよくあります。わからない子に、わかる子がつい教えてしまうのは普遍的ではないでしょうか。

 うちの塾は、私が英語しか話しません。で、わからないけどわかろうとするのが大切だよと最初に伝えてあります。先に聞き取れるようになった子は、怪訝な顔で私の英語を聞いている子に、訳してしまうことがままあります。それじゃ困るんですけどね。

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コメント

橋下市長は「スポーツにおける体罰はダメだが、生活指導の体罰は議論すべき、最低限の有力形の行使は必要かも」と言ってるらしいが、何か勘違いしていると思います。
暴力による恐怖で規律を保つのは、実は容易ではないです。

一方で規律を保ったり強いチームを作るには「なあなあ」では無理で「強い指導」が必要。
体罰批判から教育現場が萎縮して「強い指導」が無くなっては困ります。

体罰に頼らない「強い指導」を可能にするメソッドは存在すると思うのですが、それこそ「現場を知らない絵空事」でしょうか。

投稿: nam | 2013年2月 7日 (木) 22時27分

 強い指導はなくはないと思います。しかしたぶんどの学校も理想的になるのは、すべての日本企業が黒字になるのと同じくらい難しいでしょう。たやすくはないんです(だからといってあきらめるにはよくないのも同じ)

 なお、「最低限の有形力の行使」も体育科の事件後、橋下市長は取り下げたと記憶しますが、私は皆さんがあまり考えない理由で必要と考えています。その件はかなり後の段で述べる予定です。この話題はとびとびにします。ときどきお付き合いください。

投稿: snob | 2013年2月 7日 (木) 22時57分

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