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2013年5月

2013年5月31日 (金)

1分間息を止めて

 ハタチ前、たばこを吸い始めるまでは、2分間息を止めるのは楽でした。札幌の郵便貯金会館というところで子供の水泳指導の助手のバイトをしてたからなんですね。

 学校の教室でも、おまけ塾でも、1分間息を我慢してごらんと誘うと、本当はたいていの子ができるんです。でも必ず何人か吹き出して笑っちゃう生徒があらわれて、それにつられて何人も失敗します。

 そこで、easy? hard? と聞くと、それぞれできたものは得意げにeasyを、そうでないものは忌々しげにhardを選びます。It is easy...

 すかさず、What? と畳み込んでおいて、こちらがto stop...と続けます。これがIt ... for ... to ...の文の導入。あとでちゃんとto stop breathing for one minuteと文を完成させます。

Tpuzzle
 次に、旅館でよく見かけるT字パズルをひとりひとりに配ります。最初の指示は Make 'T'。しばらく待ってできたものには It's easy for me を、苦戦中の生徒には It's hard for me を言わせると、もう何人かは to make 'T' と言えます。
 次の指示は Make a house. 。同じように進めます。今回はここまでですが、そのあと homebase とか arrows もチャレンジさせます。
 その前に It はあとの不定詞を示していることを簡単に伝えておきましょう。

 学校の教室では、リンゴの皮むきを志願者にやらせ、スルスルと剥くのを見せて、It's easy for her to peel. などもやりました。

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2013年5月29日 (水)

何しに日本へ

 ジャニーズのコンサート見にシンガポールから。イギリスから岡山・児島にデニムを買いに。ドイツとオーストラリアから石垣島トライアスロンに参加しに来た夫妻。タロットを教えに。ゴスペルを教えに。いつも見損なっていた桜の開花を17年越しにやっと見に。アメリカから日本のアメフトチームに参加。

Whytri Whycherry

 本当にいろいろな理由で日本に来る外国人を、空港で待ち構えて安直に取材して、ときどき密着する番組があります。
 不定詞を使って、”~するために”の教材とするために録画をしてありました。もちろんCMを抜いても1時間以上かかる番組はそのまま使えません。

 それぞれの人ごとのエピソードはとても短いものもありますが、動画で見せるとテンポが悪くなるので、画像キャプチャして使うことにして、とりあえず画像を保存しました。
 ただ言葉だけで、”~しにきたよ”というより、その人を実際に見せることが、真実みを増すと思います。思いつきもしない理由もありますね。
 和包丁をかっぱ橋に買いに来た、忍術の先生を訪ねてきたなんて人もいました。

 比較的多いのは、日本で学ぶ学生さんと英語の講師。教師を退職した後在籍した会社でも何人も英語の先生を呼んだなぁと懐かしく思いました。

 スタッフの接し方が失礼かな、とハラハラするときもあります。いきなり"Why did you come to Japan?"なんて…。まぁ番組趣旨の説明なんかはカットしてあるのか…
 中には、クリスチャン・ラッセンの来日にTVクルーがいきあわせ、名前を聞いてもどうもわかってなかったようで、ラッセンが”自分はもっと知られていると思ってた”とぼやいてました。
Whylassen Whylassen2

 東京から大阪まで歩くために、日本に来たイギリスの若者のエピソードには、胸が熱くなりました。これだけはムービーで自分のために保存しておきました。
Whywalk

 あと何回か録画すれば、かなりの素材が集まりそうです。あとは見せ方ですね。

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2013年5月28日 (火)

太郎稲荷神社

 先日、地図も持たずに目指して行き着かなかった浅草の太郎神社に、今度はちゃんと行きました。もちろん落語「ぞろぞろ」の舞台になったところ(江戸で)です。

 もともとは大名屋敷の祭神で、九州柳川のものです。人形町の水天宮と成り立ちは同じですね。違うのは、何度かの流行り廃りをくりかえし、今は路地の片隅にひっそりとたたずんでいることです。
Taroinari

 その大名の別の屋敷にも同じお稲荷さんが祭られていて、そちら御徒町近くにも太郎神社はありますし、分社が亀戸にもあるそうです。

 東京都立図書館のデジタルライブラリに、小林清親の光線画「浅草田甫太郎稲荷」を見ることができます。もちろん今とは全く違って、吉原田んぼの中に太郎稲荷だけが据わっているようです。
 今は建物の間にちんまりしていますが、地元の人には愛されているようです。1本だけご神木なのか立派な木が往時をしのばせます。
 記録によると、1800年ごろに参詣客が行列をなすほど繁盛し、2年ほどでさめた。そして幕末から明治にかけて再び盛って飲食店も立ち並んだけれど、またさびれたとあるそうです。

 その太郎稲荷の盛衰を、上方の「ぞろぞろ」を移植するときに、うまくあてはめたのでしょうか。

 今も各地にパワースポットと称して大勢が集まる社寺があります。落語時代の昔からブームはあり、それがうまく続いたところも、太郎稲荷のようにそうでないところもあるというのが気を引かれます。

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2013年5月26日 (日)

大江戸鳥瞰図(朝日新聞出版)

 本当はこれをずっと待っていたんです。再現地図の本にあらためて時間を割いていたら、最後の最後になって見つかりました。

Ooedochokanzu
 立川博章「大江戸鳥瞰図」は今年の3月発行です。以前に記事にした「江戸の町並み景観復元図」2冊の作者で、次に横浜から秩父までの大地図に取り掛かっていることは関連HPで報じられていました。
 しかし、そのHPも鳥瞰図に関する更新はないし、立川さんのブログ(家族代筆)もアメブロにあるにはあるのですが、”はじめまして”のページ以来1年半更新がありません。
 ご高齢のこともあり(80歳)、危惧しなかったわけではありませんが、まさか電話して様子を尋ねるわけにもいかず。
 かっぱ橋商店街そばのご自宅わきを通ったこともあるのですが、外から見える工房もない普通のうちですから何もわかりませんでした。

 東京では多くの図書館にありますが、貸し出し中か購入間近で、待っていた人が多かったのがわかります。たまたま隣町の図書館で空いていたので、予約を入れて確保し、自転車で借りに行ってきました。

 北は、新座―三郷から、南は横浜本牧・磯子まで、範囲がぐんと広がりました。
Ooedochokan1
 ページを開くと、まずこの鳥瞰図の作成法が写真つきで紹介されます。
 もとになった明治の迅速図にグリッドを引き、それをパースをつけて書き写すのが基本です。地形に合わせて図を持ち上げるのも大切です。
 植生や屋敷を書き入れて完成ですが、資料のないものは立川さんの想像のたまものです。

 1ページは内外社のものよりもやや小さい。前回邪魔だったトレーシングペーパーの現代地図は、今度は重ねた状態で別ページに印刷という工夫をしています。
Ooedochokan2a  Ooedochokan2b
 付録にB2程度の大きさの全体図が。これだと肝心の江戸市中が小さくなりすぎるので、裏側に江戸中心部が印刷されています。

 これで2730円ですから、本を増やさない主義の私でも買いかも。ぜひe-honや楽天BOOKSの立ち読みページでご覧ください。

 惜しいのはトレーシングペーパーがなくなって見開けるようになった地図が、綴じ目の部分で180°開かず、見づらくなっているところです(前作品ではとじしろがあった)。
 付録も残念なことに折り目がついてしまってます。
 書籍の限界ですね。電子版が出てくれるならありがたい。

 原図はたぶんずっと大きなものだと思うので、展示してくれるとうれしいです。

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2013年5月24日 (金)

見つからない江戸の復元地図

 探しているうちに、どうしても見つからない、というより数が少ない復元地図があることがわかりませした。
 ネット上に小さな写真が載っていたのでお借りしますが、それを見るだけで、縮尺が大きく1ページに掲載された範囲が小さい。
Edofukugenzuthumb

 書名は「江戸復元図」、発行が、東京都教育庁社会教育部文化課・1989年です。いったいどこまで細かく見ることができるのか、一目見たいと思って検索しましたが、23区では江戸川区図書館しかかかりません。都下でも多摩市・小平市などわずか。もちろん他県では見つかりません。

 わずかに、江戸四百年記念の時に発行された、1枚の地図に再構成されたものが墨田区ひきふね図書館にありましたが、現物はあるのに検索されません。どうやら雑誌の付録らしいものです。だから登録されていない…のか。
Edorestoremapthumb

 さて、お役所で作ったものは、配下の図書館にはふつう配本されるものです。
 全然別のジャンルですが、埼玉県の作った「荒川(荒川総合調査報告書1~4)」は、県内のほとんどの図書館にあるほか、公立学校や、東京の流域の区にもおいてあります(禁帯出資料)。
 ところがこれは都立中央図書館にもない。

 事情を知りたいところですが、20年以上前の本ですし、文化課も平成14年になくなっています。問い合わせるのも悪いくらいでしょう。

 それにしても切絵図の形や縮尺を復元した資料はいくつかあることがわかりました。見たいものは共通、ということですね。
 ”重ねる”ということに関してはPCソフトに勝るものはありません。しかし机いっぱいに広げる紙の良さもあります。あるにはあるのだからいつかお目にかかるときもあるでしょう。

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2013年5月23日 (木)

江戸の地図復元

 先日、タモリ倶楽部で久しぶりに東京の古地形の話題を取り上げていました。それも平安時代の東山道から分かれる人見街道と品川街道をたどるものでした。現在もかすかに残っているということは江戸時代にはもう少し明確に残っていたことでしょう。

 それがきっかけだったでしょうか、たまたま志ん生たちの音源を返しに寄った図書館で江戸の切り絵図を現代にトレースしたものを、何冊かを手に取りました。
 これが切り絵図そのものでないところが素人で・・・。方位・縮尺などを現代のレベルに変換してくれるのはありがたい限りです。

 「切絵図・現代図で歩く江戸東京散歩」(新人物往来社・2002年)ではそれぞれ切り絵図の復刻とその裏に現代地図が印刷されている形式で、見比べるのもできないので頭の中で重ねる作業が難しいです。
Sampo

 「東京時代MAP 大江戸編」(光村推古書院・2005年)では、切り絵図を構成しなおした図に、現代地図がトレーシングペーパーでかぶさっています。このやり方も時々見ますが、2ページ見開きの間に現代地図が挟まっているので、片方ずつ見ることになります。
Jidaimap

 「江戸東京の地図と景観」(古今書院・2000年)は、いろいろな時代の土地利用について書いたもので、江戸と東京の対比という意味ではありません。
Tizutokeikan
 ただし、付録に「大江戸地理空間図」という模造紙半分くらいの、再構成切り絵図(切り絵図を明治初期の参謀本部陸地測量部発行の1/20,000迅速図に重ねたもの)が江戸を1枚で見渡します。武家地や町人地などを色分けしてあって、等高線が書き込んであります。
 江戸の地図は本文の中には略図しかありません。
 口絵に様々な時代の写真を載せています。その1枚に”まだ温暖化の叫ばれていないころの東京の大雪”と題した写真があり、母と子二人の写真の脇に母親の肩下まである、大きな雪だるまが写っています。1969年2月12日のもので、このときの雪は私も覚えています。
 三日三晩振り続け、小学校も休校になり、たっぷり雪で遊びました。

 「復元・江戸情報地図」(朝日新聞社・1994年)は、「江戸明治東京重ね地図」の元になったものです。グラフィックデザイナの中川惠司さんが切り絵図と明治の実測図などを丹念に重ねた、江戸復元実測地図です。PCであればアルファ値を操作して、それぞれの地図の重なり具合を調節して見られますが、書籍では無理。ここでは、再構成切り絵図に、現代地図を薄いベージュで重ねて印刷しています。
 ソフトと違うのは大判であること。1/6500でA3くらいだと思いますが、ディスプレイでこれを実現するのはたいへんです。
Johotizu

 「大江戸探見」(一藝社・2010年)は、著者の森治郎さんが、その江戸復元実測地図にほれ込んで、文章の説明に効果的に配しています。復元地図に、現代の鉄道路線と駅だけを重ねて印刷して、位置関係が明確になるようにしています。
Tanken

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2013年5月20日 (月)

落語会

 寄席、ホールに続いて、生落語月間の掉尾は、桃月庵白酒の落語会への参加でした。ちょっとしたきっかけで行くことになったのですが、噺家を招く形の落語会というのに興味を引かれて年会費を払い込んじゃいました。
 楽しいようだったら続けるのだと思います。

 「今戸の狐」を演ったのですが、あらためて、”コツのサイ”2種類を仕込まなければならないのがツライ噺ですね。しかもそれがサゲであるという。
 勘違いした地回りとのすれ違った会話の面白さや、珍しい江戸時代の寄席の情景なんかがあるのだから、このオチを放棄してしまったほうがよいのかなと思います。
 もひとつ「佐々木政談」でした。

 私はこの人の二つ目時代を知りません。前座のころは自分が落語に向いていないと思ったこともたびたびだそうです。周りで見ていた支援者も、そのころは芽が出ないのではないかと見えたといってました。

 それが、ここまで良くなるのだから、若者を決めつけてはだめですよね。

 つい最近、ネット配信の二つ目さんの大ネタを見て、とても失望したことがあります。まるでなってない。プロとして見せてはいけないレベルだと思いました。自分で練習していればいいのに、表に出す必要はない。で、将来良くなったら見せてほしいものです。

 自分だって働きはじめのころは文法を教えて、日本語訳をやらせていたりしたんですから。

 

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2013年5月19日 (日)

博物館レファレンス

 図書館レファレンスに対して、博物館レファレンスは敷居が高いです。というより当方が使い方をよく知らないで、ご迷惑をかけてしまいました。

 やはり「猪買い」の調べを始めたばかりの時、学芸員さんの話を聞けないものかと、江戸東京博物館のレファレンスに質問をしてしまったことがあります。答えてもらえないのも当たり前で、そんな質問に対応していたら仕事に差し支えるでしょうし、知識の少ない分野でしたら手間なだけです。
 博物館のレファレンスは、展示の内容や収蔵物に対する質問に限るのでした。

 ところが最近懲りずに失敗をしてしまいました。今度は「江戸大地震之図」に関してです。ことあるごとに精細な”折り目のない”図が見つからないかとさまよっています。

 検索しているうちに、過去に都立図書館で特集を組んで、その出典資料の中に、「30 江戸大地震之図(複製)/江戸東京博物館(原資料:東大史料編纂所蔵)」とあったのを見つけました。こりゃ、博物館に複製があって、過去に展示でもあれば図録が…なんて想像をしたのでした。

 で、また博物館にレファレンスを申し込んだのですが、結局複製はお持ちではないようで、無駄な手間を取らせてしまいました m(_ _)m

 東大史料編纂所そのものや、歴史民族博物館では過去に展示したことがあるようなんで、いつかまたチャンスがあるでしょう。

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2013年5月18日 (土)

レファレンス

 このところブログの更新が滞っております。記事を書きかけて止まっているのがいくつかあります。昨日のものも、しばらく寝かしておいたものです。「芝浜」の聞きがきをしないで放ってありました。

 「明治大正落語集成」の四代目圓生の速記は、記事を書くのに間に合わないと、図書館のレファレンスを利用して、最後の1/2ページだけ電話口で読んでもらいました。

 レファレンスは、以前にも文京区で、江戸時代の近郊狩猟の資料について問い合わせたことがあります。
 質問内容によっては応じてくれない(できない)ものもあるようですが、ほんのわずかの朗読だったのでやってもらえました。

 それを通話録音機能で保存して文字に起こしたのです。でも時間がたってしまったので、あとで書籍を確かめてはあります。漢字なんか今のと違っているのが本だとわかります。

 図書館では頭から「芝浜」を読んだのですが、のちの文楽のと違って、早く着いた浜での夜が白々と明けていく様子や帆掛け船の情景が、三木助のものほどではないけれども、あるんですね。
 これは後日のこととして、図書館レファレンスはなかなか使えます。

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2013年5月17日 (金)

除夜の鐘はなかった?~江戸町人の研究

…鐘がなってらぁ。増上寺様の鐘だ。もう除夜かい。「除夜の鐘言い残したが言い始め、ただ目出度さにひかされて、愚痴も口説も二年越し」なんてぇ歌があったなぁ。エェ、もうついたか。あぁそうか、じゃァこの大きい方でもらおうじゃないか…

 小三治の「芝浜」のクライマックスです。

 ところが「江戸町人の研究」を読み続けるとこれに疑問符が付きます。「江戸の除夜の鐘について」の章では、除夜の鐘はなかったというのです。著者はもともと江戸の時の鐘を研究していて、除夜の鐘について手を広げたところ、”江戸において除夜の鐘が撞かれていたという事実が確認できない”という事態に直面しました。

 冬の季語としての”除夜の鐘”は近代以降、昭和になってからのものばかりだそうです。日記や随筆でもまれにしか記述がなく、出典まで考えると怪しいといいます。落語にもでてくるような”除夜の鐘にせかされて金の取立てに回る”姿は、少なくとも江戸府内にはなかったのではないかと推論しています。

 そういえば小三治もこないだの北とぴあで、「江戸を知りたいといって落語を聞く人がいるけど間違っている、演者が江戸を分かってないのに」といってました。口伝なら知らないうちに真実を伝えることもあるでしょうが、落語は演者の演出が入りますから。で、他の「芝浜」もみてみると。

志ん朝も馬生も除夜の鐘が入っています。
…酒もよろしくって、そう言ってるよ。ありがてぇ。おーお除夜の鐘が鳴りだした。あー、いい大晦日だな。エェ明日はきっといいお正月だぜ。じゃ、もらうよ。……よそう」「どうしてさ」「また夢ンなるといけねぇ」

 昭和の音源ですが、志ん生と
…なんでぇ。除夜の鐘が鳴ってんのか。ありがてぇな。除夜の鐘をききながら。へへっどうも。お、俺ァ酒よそう」「どうしてさぁ」「夢ンなるといけねぇ。」

 可楽は明治の人です。
…鐘が鳴ってらァ、もう除夜かい。「除夜の鐘…」てェ歌があったなぁ。注いだのか。ナァニ猪口にはおよばねぇ。こいつに注いでくんねぇ…

 ところが、明治生まれでも三木助になると
…ホントに飲めンのかァ、オイ。エェ、そうかなァ。ありがてぇなァ」…「ン、よそう。また夢ンなるといけねぇ」

 あれだけマクラや浜の夜明けなどの演出に凝ったのに除夜の鐘が現れません。音源から速記に移ってもっと古いところを探してみましょう。

 ”落語はろー”には速記のページもあります。そこに、小満んさんも言ってた、やるのを止めた文楽の「芝浜」が。
…今夜は大晦日で目出度年を送るんだから、久しぶりで一杯…イヤ止そう。酒は飲むめえ」「ナゼ」「飲んでまたこれが、夢になるといけねえ」

 作者ともいわれる圓朝ですが、全集には「芝浜」は入っていないんだとあちこちのブログで勉強しました。そこで、明治期の速記を探しました。
 「明治大正落語集成 6巻」には四代目三遊亭圓生の「芝浜の財布」
…「今夜はお節もできてるし、お刺身もあるから、モウゆっくりめでたいからお酒をおあがり」「モウお酒は止そう、また夢になるといけないから」

 「ないことの証明」は難しいものです。この筆者はいろいろな論拠を示しのち、”あらためて検証を行う必要がある”と結んでいます。さぁ研究がどう進むのか。

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2013年5月12日 (日)

小三治一門会

 5月の落語贅沢第2弾も、去年と同じ北とぴあでの落語会でした。こんなに行くのが楽な会はないので、チケットぴあでポチったら、自動的に今年の会の案内が来ていたので、そんなつもりはなかったのに買ってしまっていたのでした。

 会場に行ってみたら「小三治一門会」でした。去年までは「小三治独演会」だったのです。だから、前座と柳亭燕路、大神楽に小三治という構成です。
 もしかすると、独演会で二席やる体力・気力がなくなったのかと思いました。去年は6:30開演が、今年は1:30。

 しかし、始まってみると、先週の演芸ホールとは大違い。気合の入った高座でした。マクラは30分ほど。
 父に強制された書道への反発や入門から二つ目時代のエピ。TBSの「しろうと寄席」で勝ち抜き続けていたけれど、大学受験が近づいたので辞退したい旨を申し出たところ、5秒演じたら合格の鐘を鳴らすと説得された。「ご隠居さん…」「おや八っつぁんかい」で鐘がなって、大人はいい加減だと思ったそうです。
 圓生か可楽、どちらかというと可楽の弟子になりたかったが、審査の小さんに出会って、男に惚れて入門した。
 「了見になれ」はずっと理解ができなかった。圓生に稽古をつけてもらい、教わったテクニックに感心し、師匠に言うと「それはどうでもいい。了見になれ」だった。
 今思うと、生存者を除く、圓生の弟子には形だけで、了見ができてない人ばかりだった。

 今でも、自分の芸を磨きたいと満々の意欲を語ったのは感動すら覚えました。

 「縁ですねぇ」から夫婦の縁とつづいて「厩火事」。年相応に、単語が出てこないところはありましたが、この気合があれば、この人はまだ先があると思いました。

 たっぷり1時間以上でした。会が終わって、4時少し前。北とぴあの展望台に上がって、景色を眺めて帰りました。

Hokutopia2

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2013年5月11日 (土)

回向院で出開帳

 総武線が駅を過ぎるときポスターが目に入って、気になったので両国回向院に行きました。長野善光寺の”出開帳”をやっているのです。来週末、5月19日までです。

 善光寺といえば、圓生版「御神酒徳利」でもチラと語られ、”よちみち”と呼びかける開山縁起で始まり、極楽往生の御印が頂ける「お血脈」の舞台ですね。

 今回は、東日本大震災の供養と支援のため、回向院では江戸時代以来170年ぶりに、出開帳したそうです(戦前に浅草寺伝法院で実績あり)。善光寺の戒壇巡りも再現され、御びんずる様(初)も今回、同伴しています。津波で流された三陸の菩薩像も展示されています。
 両国駅前には三陸関連のブースがありました。駅前で拝観料1000円を払えば、回向院入口の行列に並ぶ必要がなくなります。

Ekohasira
 善光寺にもある、回向柱がそびえて、そこから本尊右手にまでひもで縁がつながっています。

 本当の本尊は、秘仏なので善光寺のお坊さんも見たことがありません。で、江戸時代に出開帳にでかけていたのは本尊を模した前立観音でした。その仏像は文化財指定を受けたため移動できず、7年に一度の善光寺でのご開帳で拝観されます。今来ている前立本尊は明治時代のもので、出開帳が行われなくなった現在では公開されないものです。
Ekokaicho

 そんな事情で江戸時代とは同じではありませんが、江戸もん気分になって拝観してきました。

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2013年5月10日 (金)

GW特別興業

 私、この五月は”生”落語monthとなっています。

 初めは9日に浅草。去年もGW特別興業の一度きりでしたから、寄席はまったく1年ぶり。朝、自転車で太郎稲荷に出かけたのですが、道を一本覚え間違えて到着せず、六区に移動して演芸ホールの前で顔付けを見ていたら、入りたくなっちゃいました。10時なのに今日までの特別興業はもう開けるんですね。

 真打以降の噺家だけ拾うと、
昼の部: 柳朝(子ほめ)、きく麿、勢朝(紀州)、時蔵(居酒屋)、藤兵衛(商売根問?)、さん吉(粗忽長屋)、圓太郎(親子酒)、さん喬(初天神)、一之輔(看板のピン)、馬風、菊之丞(鍋草履)、錦平(権助提灯)、木久蔵(蝙蝠)、彦いち(反対俥)、玉の輔(紙入れ)、木久扇

夜の部: 三之助(天失気)、〆治(松竹梅)、市馬(長短)、川柳、はん治(背で泣いてる唐獅子牡丹)、権太楼(代書屋)、白鳥(アジアそば)、三三(浮世床)、志ん輔(七段目)、歌之助、小三治(お化け長屋)

 根岸の兄弟には代演が出て上の顔付ですから、しめたものでした。これなら3000円は惜しくない…(いや惜しいので口開けから大トリまでいるのが貧乏根性です)。

 小三治さんはこころなしか声量が落ちた感があります。猫八が和服で座布団に座って芸を披露したのが珍しかったです。先代を思い出しました。

 また来年かな?

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2013年5月 9日 (木)

寄席の復活~江戸町人の研究

 ひきつづき、「江戸町人の研究」第6巻を拾い読みしました。ナニ、はなっから通読する期はありません。ぱらぱらめくって目を引く章を読むだけです。論文にも落語への言及は見つかります。

 「弘化嘉永期の江戸歌舞伎興行」は本文中にも面白い引用があります。
 「花野嵯峨猫マタ稿」という鍋島家化け猫騒動を題材にした芝居が、 鍋島家から町奉行への申し入れがあって中止になりました。藩を愚弄するものとして藩士が小屋に切り込もうという動きがあったのです。
 同じ芝居でも佐倉宗吾の堀田家では、奉公人への戒めになるとして見物を勧めたそうで、江戸市民はそれと比べて大人気ないと批判しました。

 また、本題の歌舞伎の話題に入る前に、当時の政治と世相をまとめてあって、そこでは天保の改革が頓挫して市民が大いに喜んだことが例を挙げられています。

 風紀も緩み、禁じられた夜鷹もどんどん出現し、また15軒に制限された寄席が、年内に60軒、翌春には700軒にも増えたことも書かれています。
 中には隣近所に寄席が出来、共倒れになって「百日ぜき」と呼ばれたこともあったとか。

 数は増えても、鳴り物は禁止で、浄瑠璃でさえ三味線なし。扇拍手で調子をとりました。それもだんだん緩み、万事以前のように派手になりました。

 寄席では、大景物と称して、下駄・傘・醤油樽・炭俵・反物・米俵を景品として積み上げて、実際はあたりを制限するいかさまをしたことがわかり、手入れを食らうくらいまで、気持ちは緩んでいました。

 そういうインチキは話になりませんが、娯楽を押さえつけるのはいけないってことですね。

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2013年5月 8日 (水)

江戸町人の研究(吉川弘文館)

 一冊16,000円を超える本。専門書ですね。題名が検索されて手に取りました。将軍家や武家、大商人などとくらべ、この分野の研究は遅れているそうです。

 第1巻の最初の発行は1973年、編著者は東京教育大学の西山松之助先生、昨年正月に99歳で没しています。翌年出た第3巻末尾に第5巻、6巻の内容が広告されています。
 実際に第5巻の発行は少しおいて1978年、第6巻は2006年に出ました。3巻の序文中には吉原をテーマにする第10巻への言及もありますから、歴史学者の息の長い研究をまとめていく構想だったのでしょう。

 何冊も借りては読むのに時間がかかるだろうと、第6巻だけリクエストしました。新しい?だけに図書館への配備も少ないし、出版社のサイトを見ても内容が書かれていなかったので現物に当たりたかった。

 この巻は「戦国江戸地域」「奉行付町火消」「嘉永期の江戸歌舞伎興行」「川上不白」「渡辺崋山の風俗画」「御免富」「江戸の除夜の鐘」「朝鮮通信使と太宰春台」などと題名を見てもなんのことやらわかりません。
 最寄りの館に取り寄せて、この目次を見、中をぱらぱらめくって、「御免富」の副題が「その不正と事故」とあって面白そうなので、借りて自宅で読むことにしました。

 私は歴史学というのは学んだことがないのですが、細かいことまでこだわって調べるものですね。富くじの事故ってたとえば2枚同時に突いてしまったとかです。対策も文書で残っていて、錐の穂先を短く、札の厚さと同じにして防ごうとしたそうです。
 でも札を突き抜けてしまい、また2枚重ねて突いたというドジッ子ぶりが楽しい。

 感応寺は、五重塔が戦後、放火で焼けたことからわかるように、震災・戦災を逃れたので、江戸の記録がたっぷり残っているんですね。

 当たりくじにも交換の期限があります。家族の看病などで期限を過ぎてしまった人が訴え出て、奉行所の調停で、結局半額もらえた件も現在の自己責任からは考えられない事件です。

 落語によくある、すぐ当たり札を換金すると差し引かれるという制度については書かれていません。不正や事故じゃないですからね。そういうことはまた別の書籍にあるのでしょう。

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2013年5月 6日 (月)

浜離宮恩賜庭園

 GWに遠出することはずっと避けていて東京で過ごす毎年です。今回は1か所、浜離宮恩賜庭園にだけ行ってきました。

 11時の公園ボランティアガイドの時間に合わせました。これがあるとないでは大違いです。

 新橋駅からカレッタ汐留をとおって地上に出ます。公園の前の横断歩道は、首都高八重洲線をぶった切った大工事の最中で、高速道路の断面も珍景でしたが、おかげでくねくね迂回を強いられます。

 休日とあってはとバスもたくさん止まっていました。行先版のコースを見ると都内の花の名所あちこちから移動するルートのようです。先週は春とは思えない低温が続きましたが、この公園やビルの植え込みの花も終わりかけています。ツツジ、フジ、ボタン、ナノハナ…園内でもそのようやく名残を味わえるくらいですか。

 今は入場にもスイカ・パスモで支払えるようになっています。料金窓口に行列ができるほどでしたが、カード窓口なら空いています。

 ちょうどガイド開始時間ぴったり。目の前の花畑でわずかに残った花の鑑賞から始まります。アヤメは盛りでした。花ショウブはこれからです。

 案内をされるのと案内してもらうのでは入る内容が違います。昔から言われる「卒啄同機」(一文字目は簡略)とはこのこと―教育の原点ですね。

 高齢ネタなどジョークの中に、シロツメクサの説明などをまじえ、きっと前に目にしたこともあるのでしょうが、江戸に興味を持った今は、思わずハッとします。帰化植物、江戸時代にオランダからの輸入品の緩衝材として詰められた枯草の中に紛れた種が発芽して国内にはびこったものだそうです。

Hamarikyu1
 三百年の樹齢を超える松も入り口わきにあり、社の手水鉢は安政のもの。トウカエデの大木も枝振りから見ると、中国から贈られた盆栽が育ったものらしいです。

 ブラタモリで見た水路に誘い込むカモ場もただ眺めるのと、聞こうと思ってガイドに耳を傾けるのでは全く違います。

 最後に汐入池を見渡す時、ガイドも高層ビルが視線に入らないポイントを紹介します。江戸の面影を楽しみました。約1時間のガイドツアー。
Hamarikyu2

 そのあと、水上バス乗り場まで散策を広げると、ちょうどほしくなる場所にソフトクリームスタンドがあります。2時からの芝離宮のガイドまで足を延ばす余裕はなくなりました。

 入り口に戻ると江戸太神楽の曲独楽の大道芸を披露していました。
Hamarikyu3

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2013年5月 3日 (金)

母と子~江戸時代漫筆

 学校という職場は、家庭と大きくかかわります。親の行動が子供に大きく影響するのを多々見てきました。
 両親のそろわぬ家庭も少なくありません。死別も離別も。ずっと受け持ってきた母と娘の家庭が思春期を迎えて変化したことがありました。学校に黒いブラをつけて登校するようになり、しばらくして家出をしました。しかし非行に走ったわけではなく、幼いころ別れた父親のもとに駆け込んだのでした。その父親が面談に現れて事情が分かりました。父親には新しい家庭があり、やがては元に戻ってきました…。

 Wikiの「子別れ」の記事を読むと、柳派のそれに対抗して、圓朝が「女の子別れ」と題して演じたとあります。離婚した後、男子は父親につくという当時の慣例によったそうです。

 「江戸時代漫筆」第6巻の「江戸の離婚」は前半では三行半といわれる離縁状、後半を江戸時代を通して縁切り寺の地位を保った鎌倉東慶寺についての記述です。

 それによると、妊娠中の離婚後、できたこどもは父親に戻すというようなしきたりでした。三か月を過ぎても妊娠の報告がない場合は、戻さなくともよい。
 やはり女性個人の経済力の問題は大きかったでしょうし。武家や商家では跡取りの男子の重要性があったでしょう。

 しかし、離縁状の中に子供は妻が引き取り、夫側は養育に口を出さないという一筆のあるものも結構あるのだそう。
 江戸時代においても母親についていくことは許されないことではなかったんですね。長屋住まいの職人に家の跡継ぎもないでしょう。

 経済力の劣る母親が引き取って、生活に苦労し、近所の子にたたかれても世話になっているために我慢を強いられる。
 酒癖の悪い父親のもとに残るも、女郎上がりの継母に煙管ではたかれ告げ口すると父親にはゲンコツ、出ていった母親を恨む。

 どちらのバージョンでも子供は、苦労させられます。学校で出会ったのは母子家庭が圧倒的に多い。今残る「子別れ」は明治の生活が背景です。この場合は父親が有責配偶者ですから、女性が引き取る形の噺が受け入れられて残っているのでしょう。

 「江戸時代漫筆」は近隣の図書館に5冊しかなく、あと2冊を県立図書館から配送するリクエストをしているところです。

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2013年5月 2日 (木)

大工のきさっぺ~江戸時代漫筆

 このところ書籍に取り掛かっています。それも面白くって読書しているわけじゃないので、時間がかかってしょうがありません。

 たとえば、「文七元結」で、冒頭、長兵衛がばくちで素寒貧になって帰る場面で「丁にはれば半、半にはれば丁、丁と半の両方にはったら賽が重なって…」とありますが、果たして「両方にはる」ことができるのか。サイコロが重なるのはあり得ると思います。カップとダイスで重ねる芸もあるわけだし。丁半ばくちでは重なったら胴元が総取りとなるのか。
 こんなことが噺を聞いていると頭をよぎります。ばくちのルール本ってあるのかな?あったとしてもわざわざ借りてまで調べる内容ではありません。

 今読んでいるのは、石井良助「江戸時代漫筆」(明石書店)全7巻です。東大の法学の先生の本で、江戸の法制度について調べたものです。だから面白エピソード(になりそうなものもあるのですが)ではなく、それが拠っている実在の文書から江戸の法整備や慣習法について記述してあります。

 この本は1959年に法律雑誌連載が2冊にまとめられ、その後続刊に発展したものです。出版社を変えて新装版が出たりで、図書館を見ると10冊以上蔵書していても全巻そろわなかったりします。

 第1巻「江戸の町奉行」第2巻「江戸の遊女」第3巻「盗み・ばくち」第4巻「人殺し・密通」第五巻「将軍の生活」第6巻「商人と商取引」第7巻「江戸の離婚」
 このようにタイトルされていますが、1・2巻では代表的な記事がタイトルになっています。総論的に一通り記事にしたのち、3巻以降でかなり詳しく調査・展開されたものがあります。
 読んでいると、50年以上前のものですので、おそらくそのあとの江戸本のベースになったんだろうなと思いました。

 1巻は、もちろん奉行システムの記事が多いですが、最初は「帯刀」で始まります。次の記事の「苗字」の記事と合わせて、武士の特権について書いてあります。

 姓は武士しか名乗れないものでした。百姓町人のなかにも隠し姓を持っている者もいましたが、おおっぴらに使うことは禁じられていました。人別帳にものりません。
 それだから、姓を使うことを許可するのも政治的恩恵としてあったそうです。お金もかかりませんしね。それで町人がありがたがってくれれば安上がりです。江戸府内での帯刀より安易です。
 孝行者などの特別な功労で名字帯刀を許した場合も、帯刀は一代限りであっても名字は子孫まで許されたそうです。

 これを読んだとき浮かんだのは、小噺で、「大工の山田喜三郎さんをご存じではありませんか?」「大工?おいきさっぺ、知らねぇか」「俺だ。死んだ親父にお前の名前は山田喜三郎だと…」
 何代か前に名字を与えられて、ふだんは使ってないが、伝わってはいるというという状況を当てはめてしまいました。
 何を読んでも落語に引き寄せてみるのは病気ですね。

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