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2013年5月 9日 (木)

寄席の復活~江戸町人の研究

 ひきつづき、「江戸町人の研究」第6巻を拾い読みしました。ナニ、はなっから通読する期はありません。ぱらぱらめくって目を引く章を読むだけです。論文にも落語への言及は見つかります。

 「弘化嘉永期の江戸歌舞伎興行」は本文中にも面白い引用があります。
 「花野嵯峨猫マタ稿」という鍋島家化け猫騒動を題材にした芝居が、 鍋島家から町奉行への申し入れがあって中止になりました。藩を愚弄するものとして藩士が小屋に切り込もうという動きがあったのです。
 同じ芝居でも佐倉宗吾の堀田家では、奉公人への戒めになるとして見物を勧めたそうで、江戸市民はそれと比べて大人気ないと批判しました。

 また、本題の歌舞伎の話題に入る前に、当時の政治と世相をまとめてあって、そこでは天保の改革が頓挫して市民が大いに喜んだことが例を挙げられています。

 風紀も緩み、禁じられた夜鷹もどんどん出現し、また15軒に制限された寄席が、年内に60軒、翌春には700軒にも増えたことも書かれています。
 中には隣近所に寄席が出来、共倒れになって「百日ぜき」と呼ばれたこともあったとか。

 数は増えても、鳴り物は禁止で、浄瑠璃でさえ三味線なし。扇拍手で調子をとりました。それもだんだん緩み、万事以前のように派手になりました。

 寄席では、大景物と称して、下駄・傘・醤油樽・炭俵・反物・米俵を景品として積み上げて、実際はあたりを制限するいかさまをしたことがわかり、手入れを食らうくらいまで、気持ちは緩んでいました。

 そういうインチキは話になりませんが、娯楽を押さえつけるのはいけないってことですね。

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コメント

15→700軒とは凄いですね。
押さえつけられていた反動で一気に増えたのでしょうが、ニーズもそれだけ有ったのでしょう。

それにしてもsnobさんは専門書も精力的に拾っておられて、感心するばかりです。
私は新書とネットを漁るのが精々で、江戸風俗に興味があると公言するのも憚られます。
江戸文化歴史検定の1級の問題を覗いたことが有るのですが全くダメでした。
あれは一般人が関わる様なものじゃないですね。
3級なら少しは行けるかしら?

投稿: nam | 2013年5月 9日 (木) 20時33分

>専門書
 手が出ないような本も図書館にはあるので、つまみ食いしているだけです。

>江戸検定
 見たことがないです。そういえば大江戸あいどるのほーりーとかいるんですよね。

投稿: snob | 2013年5月10日 (金) 14時27分

 天保年間と云うのは1830年から1844年までの14年間ですので、そろそろ徳川幕府の政治体制にひずみが出て来た頃ですね。天保の改革ってのも歴史のキーワードですが、私は志ん生の「黄金餅」で、金山寺味噌売りの金兵衛が木蓮寺の飲んだくれ和尚と、葬式万端の金額交渉の時に出て来る天保銭の市場価値に興味があります。

 天保銭は発行当初は百文(二千円)だったのですが、次第に貨幣価値が下がってしまって、80文(1,600円)にまで価値が下がってしまったとか・・・

 それと江戸時代には十種類くらいの一両小判が発行されたらしいのですが、時代が進むに連れて金の含有量が少なく待って行きますね(^ω^)

投稿: 藪井竹庵 | 2013年5月10日 (金) 20時16分

>貨幣の価値

江戸末期の貨幣は外国から額面と貴金属の量が違うとクレームをつけられたそうです。
貨幣はその金属の価値と額面が連動しないという点で、諸外国に先駆けて現代貨幣的だったようです。

そういえば四国だかどこかに古銭を地域トークンとして使っているところがあったような…

投稿: snob | 2013年5月10日 (金) 22時26分

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