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2013年6月22日 (土)

「猪買い」は江戸でできるか 8 ≒ファイナル

 思い出したように、江戸の肉食や近郊の狩猟について検索をしてます。

 すると、この作業に決定的な資料を見つけることができました。
 タイトルに惹かれてダウンロードしたPDF文書「近世農民の害鳥獣駆除と鳥獣観」。11ページの論文で、筆者は法政大学教授の根崎光男さん。

 そうです、NHKの公式サイトもとうに閉じられてしまった、ブラタモリで解説をしていた先生です。以前にはこの「猪買い・・・」の記事の中で著書「将軍の鷹狩」には触れました。でもあの番組で見ると上つ方だけに興味があるのではなく、庶民の暮らしもたくさんご研究でした。

 2001年のこの論文は、まだ書籍に収録されていないのだと思います。CiNii(国立情報学研究所の書籍・論文のデータベース)などに登録されていて、そこからアクセスできます。

 該当部を引用すると

 番人の見張りによる害鳥獣の防除は古くから行われていたものであったが、慶応元年(一八六五)七月、武蔵国埼玉郡・葛飾郡、下総国葛飾郡内の二七か村は、「近年猪鹿多田畑諸作喰荒候二付、村毎昼夜二かきらす番人付置候得共、防方何分不行届」として、「花積村へ壱挺、梅田村へ壱挺、都合弐挺御拝借奉願上、外村々へ猪鹿来り田畑諸作喰荒候ハ、早速右弐ケ村へ罷越、前書鉄砲借受打威候様仕度」と鉄砲の拝借を幕府代官今川要作に願い出て許可されている。そして同年二月には、「遠村二てハ拝借人方へ及沙汰、同人駆付候迄ニハ諸作多分被喰荒甚難渋仕候間、今般村々一同相談之上増拝借御願奉申上傭」として、拝借鉄砲を増やしてくれるように要請している。この地域では村ごとの番人設置による対応から拝借鉄砲による防除へと変化した。拝借鉄砲の要請は、必ずしも一村単位で行われていたわけではなく、組合村という村連合によってなされることもあった。このことは村々の結束を強めることにも作用したのである。

 安政七年(一八六○)三月、下総国葛飾郡藤原新田の村役人は害鳥獣駆除のために鉄砲を領主から拝借した際に、「田畑作毛荒候畜類之外、鳥類者勿論、外殺生堅仕間敷癖」という内容の文書を提出している

 最初の部分は、現在の春日部市と旧岩槻市の境あたりの地区が、番人では間に合わないので鉄砲での駆除を申し出たものです。まさに維新前夜で、江戸からの距離は30km。

 後の部分は、船橋市で、競馬場の少し北、市川市との境界で将軍家の鷹場・小牧原にもちかいところです。これも幕末、もうすぐ桜田門の変です。江戸から20kmあまり。

 論文末に参考文献があるので、その春日部市史と船橋市史を図書館で確認しました。論文では「打ち威し」となっていますが、のちには「玉込め鉄砲」を借りる願いを出していますので、狩猟したことでしょう。船橋市では「(鷹の餌となる)鳥は打ちません」と断っているので、間違いありません。

 江戸で商品取引されている獣を近郊で狩猟したのですから、売ったか売らなかったはともかく、江戸者が食べに行くことはできます。
 これで「猪買いは江戸で…」は決着していいのじゃないかと思います。春日部だと関所もないし、日光御成街道一本。神田-本郷までは中山道。分かれて飛鳥山をまわって王子、赤羽・川口で川を越えて岩槻。大阪―池田より近い。噺にするにもいいルートかと思います。

 いつの日か本当に江戸落語にならないかなぁ。

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