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2013年6月 3日 (月)

黒門

 上野の黒門町の地名の由来となったのは、寛永寺の門です。浮世絵や図絵などにもたびたび描かれています。
Koromon (東京都立図書館デジタルライブラリから)

 上野戦争で、大村益次郎率いる官軍がたてこもる彰義隊に砲を打ち込み、上野の山は大部分が灰燼に帰しました。
 清水堂などわずかに残りましたが、惜しいことをしたものです。

 ただし、その黒門は別の場所に保存されていたことを知ったのは何年も前です。で、ようやく自転車で南千住方面にターゲットを移して、門を見てきました。国道4号沿いの円通寺にあります。
Kuromonphoto

 戦争後、上野の山は明治政府に没収されて公園などになりましたが、もう門は不要だったのでしょう。

 今は置かれている、といった状態で、金網に囲われて門の機能はなく、触れることは出来ません。しかし上野戦争時の弾痕などを見て取ることが出来ます。
 元の場所ではありませんが、大勢がにぎわう広小路の奥に、時刻になると閉ざされてたたずむ門を想像して偲びました。

 南千住図書館に寄った帰りで、その後いくつかの史跡を訪ねました。

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コメント

 黒門町と云う名称は現在は黒門小学校とか黒門亭にしかその名前が残ってませんね。江戸時代には赤門ってのもありました。現在の東大赤門ですが、あれは加賀百万石の屋敷の赤門の跡で、落語には赤井御門守として残ってますね。赤井御門守はいろんな落語に登場しますが、志ん朝は本郷の赤井御門守として、加賀百万石の前田家として語ってます。

 ちなみに上野鈴本の高座にあった唐獅子の絵の衝立(志ん生や文楽の高座の写真で、右側に映っている)なんですが、昭和45年にビルに立て替える時に紛失してしまって長い間行方不明でした。昨年、入谷の寺にある事が発見されて、現在は鈴本の高座に戻ってます。

投稿: 藪井竹庵 | 2013年6月 4日 (火) 08時49分

 ちょうど先生のとこが黒門亭の記事だったので、先々週訪問したのを思い出して書きました(^^;

 東京が、というか日本全国で古い町名を捨ててしまったのは惜しいことだと思います。

投稿: snob | 2013年6月 4日 (火) 09時16分

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