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2013年6月13日 (木)

父、圓生(講談社)

 静岡の方のブログで、古い落語番組を紹介していただきました。圓生の二男の佳男さんがゲストでした。この方は、お子さん、つまり圓生の孫といっしょに、長らく圓生の手伝いもしていいて、放送では圓生の最後の日を淡々と語っていました。それだけにかえって、はるか昔の出来事が今起きているような、手に汗握る臨場感を感じました。
 また、義理の祖父、つまり五代目圓生の最後の高座にもいあわせたそうです。というのも、圓生は貧乏暮らしの中、子供の何人かを、義父に面倒を見てもらったそうで、めぐり合わせたのです。
 
 まだあの志ん生と一緒に満州に行く前、佳男さんの兵舎に面会に来た時の、父親らしい愛情も、珍しい一面でした。

 そんな放送録音を聞いてしまったので、「父、圓生」(1987年)を手に取ることにしました。
 これはその放送から数年後にまとめられたエッセイ集で、六代目の臨終から幕を開きます。
 面会の件のほかに、圓生の本にはなっていない満州でのエピソードいくつか、柏木の家のこと、協会脱退後の小さんとの顔合わせなどが書かれていました。
 何より、事件後、老骨に鞭打って働きづめだったことがわかります。

 最後の章は五代目圓生の話題で締めくくっています。

Papa

 おどろいたのは、巻末に時代ごとの圓生演目リストがあるのですが、圓生になってからの持ちネタに「芝浜」が入っていたことです。

 文楽同様、三木助が売りものにしたから封じたのでしょうか。

 京須さんの本に、「百席」を録り終えた後、圓朝以来の三遊亭のネタである「芝浜」はと水を向けたが、いい返事はもらえなかったとあったのを思い出しました。

 聞いてみたかったですね。

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コメント

 snob先生。ちょっとこの記事の内容には時代考証的に幾つかの疑問点があります。

 先ず第一は・・・圓生二男の山崎佳男さんは志ん朝と同じ、昭和13(1938)年の生まれです。実父の六代目 圓生の最後の高座は昭和54(1979)年9月3日ですから、佳男さんは41歳。六代目の義父つまり佳男さんの義理の祖父の五代目 圓生が亡くなったのは昭和15(1940)です。その時佳男さんは2歳です。五代目 圓生の高座の記憶がある訳は無い(^ω^)

 圓生が新潟港から慰問団の一員として志ん生らと共に大陸に旅立ったの、昭和20(1945)年5月。その時佳男さんは7歳だったのでおぼろげな記憶はあるでしょうね。「佳男さんの兵舎」って?・・・佳男さんは志ん朝と同い年で子供だったから兵隊には行って無いので兵舎の意味が不明です。

 佳男さんが二歳になる前に亡くなった五代目 圓生の記憶なんかまったく無いはずです。私が佳男さんに書いて欲しかったのはそんな想像ではなくて、圓生の家にまかないとして居候していた圓生の実父の「おっちゃん=寺田富吉」の事と、圓生が満州に行っている間圓生家の面倒をみていた四代目 月の家圓鏡(後の七代目 橘家圓蔵)の事なんですが・・・秘密なんですかね? (^ω^)

投稿: 藪井竹庵 | 2013年6月14日 (金) 01時31分

 藪先生ごめんなさい。記事は私の調査ではなくて、佳男さんの本の要約ですので、兵舎というのは佳男さんの入隊した先のことです。正確には面会場所は兵舎の中ではなくて、兵隊が家族との面会を許された外の料亭か何かですが。

 祖父、五代目の最後の高座の件も本の出版に先立って、Cavanさんのラジオ放送でも語っていますから、もしかすると生年の情報が間違って伝わってるのではないでしょうか。

 長男の方の年齢は、襲名騒動のときに2009年で90歳と報道されていますので、開戦時に20を超えています。佳男さんといくつ違うのでしょうか。資料が見つかれば報告しますね。

投稿: snob | 2013年6月14日 (金) 08時12分

次男の方は著作があるとはいえ、ほぼ一般人で、バイオグラフィーがネットには見当たりませんね。

 帰宅して本を手にすると、灯台下暗しで、カバー見返しに略歴がありました。大正13年(1924)12月10日に芝・三光亭で生まれた、とありました。ですから、五代目没年には16歳です。

 それはともかく、戸籍上ではない、本当の実母の夫の”おっちゃん”の件は藪説で間違いないと思いますが、なかなか家族からも語られないことなのでしょう。

投稿: snob | 2013年6月14日 (金) 11時04分

 ま、圓生二男の佳男(よしお)さんは一般人ですから、あんまり根掘り葉掘り追求しない方がいいと思いますが・・・orz

 キャバンさんの記事へコメントするため急遽、圓生著の「寄席育ち」の該当部分を調べたんです。圓生さんの結婚は早くて、大正9(1920)年5月ですから19歳の時ですね。表になっている訳ではありませんが、数えてみたら二男五女の7人の子供を作ってたはずです。そのうち亡くなった子や他の家へあげた女の子が二人です。

 芝の三光亭と云うのは五代目 圓生が買い上げてオーナーになった寄席ですね。もう一度「寄席育ち」を読み直してみないと確かな事は云えませんが・・・二男の誕生の前には当然長男が生まれている訳で、女の子も何人か生まれていた筈です。大正13(1924)年の12月には圓生さんは24歳になっていますが、四年ちょっとで女の子を含めて二男が生まれたとなると、かなりのハイペースで子作りした事になりますね(^ω^)

 とは云え、私の読み間違いで志ん朝が生まれた昭和13年と大正13年を取り違えた可能性もあります。佳男さんが大正13年生まれだとするならば、先代の文治と同い年だから徴兵されてますね。自分が徴兵されたかされなかったのかの記憶を間違える人はいないので、その件に関しては私の読み間違いでしょうね(^ω^)

投稿: 藪井竹庵 | 2013年6月14日 (金) 16時06分

 よかったです。

 だれでも間違いなんて…。じつはこの記事のタイトル=本のタイトルを写真を張り付けてあるにもかかわらずに思い込みで間違えて、こっそり修正したりしてます(^^;)

投稿: snob | 2013年6月14日 (金) 18時32分

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