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2013年8月 7日 (水)

米朝と三木助

 このブログのカテゴリー「落語と図書館」は「図書館に置いてある落語について」という文脈ではなくて、「図書館の話と落語の話題」という意味です。andではなくてorということですね。もともと、それと英語塾のこと、というブログであるわけです。だから落語の話題でも全然図書館に関係なかったりします。逆もそう。

 普段、放送に触れることはあまりありませんでしたが、録画して保存しないで消してしまうので、放送された「米朝の三木助襲名の話」を書き留めておくことにします。

 人間国宝・桂米朝に、三木助襲名の話があったことはいろいろな資料で読みました。wikiにもあったかな。
 もともと二代目までは上方の大名跡、いずれ文枝になる名前ですから、東京に出てきてしまった二代目と、薫陶を受けた江戸落語家でその跡を継いだ三代目が亡くなったあと、米朝に襲名させて大阪に戻す話がでたというのが、大筋です。
 三代目三木助の師匠格に当たる文楽が乗り気で米朝に勧め、実現しかかりましたが、裏に松竹と吉本の争いが絡んできたために、米朝が辞退した、ということです。

 米朝側ではどう判断したのか、それを「柳家喬太郎のようこそ芸賓館」のゲストに来た、米團治が語ってくれました。

 ただし、米朝一番弟子の月亭可朝・談と断っています(ツィートしないようにと念を押してた):

 「あなた、関西だから三木助を襲名したらどう?」と文楽から話が来たとき、ちょうど春団治や松鶴の名跡襲名が続いていて、上方からきた名前だし、鷲鼻も二代目・三代目と米朝に続くものだ。米朝は三木助襲名に大喜びで、乗り気になった。
 可朝、当時小米朝に、「三木助になったら、お前に米朝をやる」。ここはできすぎていてちょっと怪しい。
 しかし、興行師にホールを満席にできなかったとき、「三木助は百年早い」とののしられたところから、「もう生涯襲名というものはしない」と米朝の名を大きくすることにこだわった。
 師匠の米團治の名も継ぐことがなく、息子にわたることになった。

 というのです。確かにそれが米朝で人間国宝になることにつながるわけですから、話半分としてもおぼえていて面白い噺でした。

 喬太郎と米團治は、そのあと、四代目三木助の死と、同じ年の志ん朝の死に変わりました。二人とも今年が十三回忌。

 志ん朝の音源や映像で何か動きがないものでしょうか。

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