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2014年5月10日 (土)

中川船番所資料館

 木場のあたりにふらふら出かけ、ちょうど時間の良かった映画を見て、大通りを避けて西に向かいました。ふと鳥居に目が行って立ち寄ると須崎神社でした。江戸城内から元禄時代に遷座、当初は波間に浮かぶ弁天様として参詣客を集めたそうです。また、寛政の時期に高潮に襲われ地域が大被害を受けた後、それを伝える「波除碑」が残されています。
Suzakijinja

 疝気神社というものにも出会いました。疝気とは現在ある病気ではなく、落語で耳にするだけです。昔の人は神様に直してほしかったんでしょうね。

 テキトーに進んでいると、越中島貨物線の踏切に行き当たりました。
 都心からはずれているとはいえ、都内で単線の鉄路が町なかを延々と伸びているのは不思議なな感じがしてシャッターを切りました。

 砂町銀座で、息子がファンなので、まぐろメンチを買い込み、さらに西に進みます。やがては荒川に行き当たるのですが、旧中川への分岐に閘門・ロックゲートがあります。中川と運河の小名木川がわかれる場所とほど近く、荒川を作った時に水位差を克服するために作られた施設です。いっぺん通行して体験してみたいものです。

 小名木川を超えたところにある、江東区の中川船番所資料館が目的でした。このあたりに江戸時代の船荷を監視する船番所があったのです。
Funabansyo1

 入館料は200円。広くはありませんが、展示見学順路は3階からです。こういうところに行くときはミニチュア模型を期待していくのですが、いきなり番所の実物大模型に圧倒されます。
 同じ江東区の深川江戸資料館も長屋や船宿の実物再現模型が主な展示物です。実物大であるなら、深川のようにごく近くまで寄ってディテールを楽しめるとよいのですが、ここは船目線で見上げるようです。
Funabansyo2

 この階が、江戸・東京の水運を展示し、2階では和竿と釣り文化、1階はミュージアムショップ。6月までは企画展として「むかしのくらし」をやってます。民具や古い家電製品なんかですね。

 3階のはずれには展望室があり、眼下に旧中川が見えます。荒川放水路のせいで流れを替えられた中川の名残ですね。ばくぜんと眺めていたら、見覚えのある車がやってきました。
 スカイツリーや亀戸梅屋敷を起点に運行しているスカイダックです。山中湖や五十里湖でも活躍する水陸両用バスです。資料館の真下に入水ポイントがあったんですね。
Skyduck

 水しぶきを上げて川に入ると、資料館をはさむ2本の橋の間、300mくらいを行ったり来たり。やがて上がってくると土手にあるカフェ&土産屋ですごす時間をとっていました。

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コメント

 城東地区の探索ご苦労様でした。

 家康が太田道灌が作った千代田城に入城した頃は、江戸も江戸城を中心とした狭い地域だったのですが、やがて家康が連れて来た三河商人たちによって、江戸が商業都市に変貌し江戸の範囲がドンドン拡大して行きましたね。

 当初は現在の文京区や台東区が庶民が居住した下町でしたが、庶民が居住する下町の範囲がドンドン拡大して行った事が、江戸の発展につながり、18世紀中頃の元禄時代には江戸は世界一の大都市になりました。

 墨田区や江東区は江戸の町が大きくなって行った際の下町地区を形成しました。ただしかつては江東ゼロメートル地帯と云われたように、武蔵野台地から川が運んだ土砂が堆積した地帯なので、台風のたんびに洪水になりました。

投稿: 藪井竹庵 | 2014年5月14日 (水) 15時13分

 このあたり、本所や深川の一部を除いて湿地や田んぼばかりだったはずなんですよね。
 現地では頑張って想像しようとするんですけどなかなか難しいです。

投稿: snob | 2014年5月16日 (金) 00時31分

 藪さんは錦糸町駅前の都電の線路が台風の雨で水没している光景を子供の頃の記憶として憶えてます。昔は錦糸町駅が都電の終点ではなくて、現在の四ツ目通りを南側に曲がった「錦糸掘」と云う停留所が終点でした。

 仙台堀とかって地名もありますが、かつての錦糸町は頻繁に水没していたゼロメートル地帯でした。現在でも嵩上げはされてませんが、川が護岸されたり豊洲地区に多数の防波堤が出来たので、現在の錦糸町は水没しませんね(^ω^)

投稿: 藪井竹庵 | 2014年5月17日 (土) 08時28分

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