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2014年5月27日 (火)

考証 江戸を歩く(隅田川文庫)

 読んでいて、向島の白髭神社の記事に「社殿は元治元年の造営で…震災にも空襲にも焼けず、夏なお…」とあって、一瞬とまどいました。奥付を見返すと2003年7月初版とあります。白髭神社の社殿は残念ながら、1990年、放火によって焼失しています。もう元の姿を思い出すことができません。
 それもそのはず、本書は時事通信社から1988年刊行されたものの再録です。では、なぜ隅田川文庫?(河出文庫でも出版あり)

 「江戸を歩く」のタイトルをみてひもといた本ですが、内容は隅田川河口、月島・芝浦の風景で筆を起こし、平安時代の業平の東下りを話題にします。必ずしも順に川を遡行するわけではありませんが、ほぼ江東・墨田の両区の事績を時代考証家の目で書き綴る、墨田区民必携の書であったのです。
Edoaruku

 ちなみに、巻末に近刊予定が載っていますが、そのうち「江戸たべもの歳時記」「江戸性風俗夜話」に興味を惹かれましたが、十年たった今も刊行はされていないようです。(あるいは同じように別出版社であるのかもしれません)

 隅田川を上下する水上バスでは「勝鬨橋」を対ロシア戦勝でついた名前であるとガイドしているそうですが、著者はすぐにまったをかけます。橋の架橋は昭和15年。実は「勝鬨」の名前はまず渡し船に与えられて、それを橋が引き継いだとのこと。
 その他、北斎の墨田川両岸図会や歌舞伎の鬼薊清吉などを題材にいろいろ語られます。鐘淵の名の由来には、寺の梵鐘が沈んだとする話が三種ほどあるそうです。しかし、筆者は「カネ」が曲がりを意味するので固い岩盤が川を屈曲したのだと切り捨てます。
 落語の「松葉屋瀬川」はまったく別の話があって、夫を殺されて仇を探すために遊女に身を売った瀬川は最上級の太夫に昇進、仇を見つけて遺恨を晴らすというものでした。

 百花園が完成してから都が管理する現在に至るまでの盛衰の歴史も、興深いものでしたし、桜田門外の変で井伊直助の駕籠のところで太刀を浴びて倒れた若い近習がのちに長命寺の住職となったことも驚きでした。

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