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2015年7月

2015年7月27日 (月)

続・故障

つづけて、東京で使っているWifiルーターにトラブルです。画面の時計表示がおかしくなりました。デジタル時計が「止まる」のには苦笑です。リセットしたりクレードルへの脱着で動くのですが、また止まります。
4月に買った販売店に持ち込みましたが、修理受付はAUショップだそうで、たしかにAUなら各町にあるから便利なのでしょう。AUショップに移動して相談、SIMカードを無償交換して直りました。

しかし、1月近く過ぎたらまた同じ症状が出ました。時計表示はおまけで、それだけなら不都合がありませんが、前回と今回、症状が出だすとWANへの接続が不安定になったので、それと無関係でないような気がします。
歩いて3分の地元のAU代理店に持ち込みました。
ルータの修理中でも受信料の払いは停止しません。そういう契約だそうです。なるほど、それが正しいのなら、そういう機械ばかりを胸張って売ればボロ儲けできます。
そういう商売は、修理中に代替機を貸し出すシステムがなければ成立しないでしょう。

ところが代替機にトラブル。PCとの無線LAN接続が確立しません。VAIO、DYNABOOK、ARROWSと3台ともダメでした。AU代理店で、店舗のPCと接続してもらうと、お粗末なことにこれも確立しません。

別の代理店に行くと、貸し出し中です。近くの別系列のAUに行くとここも貸し出したら長期間戻ってこないとのこと。
そこで販売店の中のWifi接続業者に相談してみました。近隣のAUに電話をかけまくってくれました。その対応の良さに感動すら覚えましたが、結果は全滅。墨田区全部と台東区のほとんどのショップに代替機はありませんでした。
やむなく、代替機の予約をして引き上げましたが、疲れました。

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2015年7月26日 (日)

故障

トラブルは重なるもの…なのでしょうか?ここ二月の間にPC関連機器の故障がたて続きました。

授業で使う液晶プロジェクターが2台。メインマシンの電源が入らなくなりました。こりゃとうとうランプが切れたか、と2万だして買ったところが治らない。見越してヨドバシの延長保証(年々保障額が下がる)を付けていたので修理に出したところ、見積もりが5万超。あきらめました。ランプも無駄になりました。 もうこのメーカーのは買いません。

ちょっと調子が悪くてしまいこんでいたACERの古いプロジェクターを使っていましたが、このところ液相画面に水に落とした墨汁のようにドット抜けが広がってきました。教材の文字が見えなくなってはどうしようもありません。

とうとう買い替えです。授業以外を考えて液晶テレビを教室に使っている冷に置くことも考えましたが、邪魔になりそうです。液晶プロジェクターですが、思ったような小型機が見つからずEPSONのにしましだが、ちょっと不便になりました。でも明るい、ちょっと無駄に明るい。

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2015年7月24日 (金)

生活記録ノート2

私は生活記録ノートで生徒と交流を図るのは苦手でしたが、他の手立てで子供たちの動向にアンテナを張っていました。職員室に帰らず、教室近くで過ごしたり、生徒の行動にふとあらわれる心情を捉えるように努めました。
それは教師の各個性で特異な手段を見つければいいのだと思います。

だからもし、今回のノートのように直接生徒から相談事があったらすぐに飛びつきます。相談事を読んだら返事を書いて渡すまで待つなんてことはしません。

雑誌SPA!を読んでいたら、ノートの違和感に対する仮説がありました。

「ボクがいつきえるかはわかりませえん。ですが先生からたくさん希望をもらいました。感謝しています。ただ、もう市ぬ場所は決まってるんですけどね。」という最後のメッセージへの返事が「明日からの研修楽しみましょうね。」

これはどう読んでも答えになっていません。そこは報道の指摘する通りです。でもありえない。こんな回答を繰り返していたら生徒は相談を間違いなくやめます。

雑誌では、生徒の訴えの後、直接相談にのって、「先生に声をかけてもらって気が楽になった、もう大丈夫です。」といった反応があったなら、「(では)研修楽しみましょう」と引き取ってもおかしくない、と。

あくまで仮説です。担任が表舞台に出てくるまでは真相はわかりません。仮に解決したと担任が思ったとしても、親や学年内で共有を怠ったことは責められるべきです。
いずれにせよこんなに明白なサインを生かせなかったのは

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2015年7月23日 (木)

生活記録ノート

岩手でまた、いじめによる自殺がありました。生徒の自殺には親も教師も気づかなかったという事例が多いのですが、今回は担任に何度も自殺をほのめかすという点で特異な事件です。そしてその手段が「生活記録ノート」というものだったは私には驚きでした。
というのは、自分が中学生のときに担任とノートを交換するシステムがありました。そのころは普通の大学ノートで、今回のような市販品がでたのはかなりのちのことです。しかし、先生に自分をさらけ出すなんてありえないくらい気恥ずかしいことで、何回かやりとりしたあと提出しなくなりました。
教師になってから市販品を生徒分配布して、クラスを6グループに分けて曜日ごとに分けて回収しました(当時は土曜半ドン)。しかしやはり私には交換ノートでの交流は無理だったようで、空き時間をついやして返事を書いたつもりでしたが、回数を追うごとに背移出する生徒が減り、強要するのも嫌だったので立ち消えていきました。
自分だけではなく、ほかのクラスでも同じようだったらしく、2学期には全員分を購入するのは無駄となりました。

そこからすると、今回の事件で苦しみを吐露する生活記録ノートは稀有な成功例といえます。
しかし、報道されたノート上のやり取りは不可思議です。文のやり取りがかみあっていません。「担任、何かいてんの」と声をあげたくなります。
尾木ママなんかはそこに噛みついてますね。

思ったより長くなりました。いちど図書館で確認してから

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2015年7月22日 (水)

銀座線に清流

自分で設定したテーマに沿った話題がなく、つい間が開いてしまいました。こりゃ現役時代の「朝の会・帰りの会」で毎日まとまりのない話を生徒にしていたことを思い出し、テキトーな話でつなぐことにしましょう。

ゆうべ銀座線の上野駅で電車を待つ間にふと線路に目を降ろすと、線路の間に水が流れていることに気付きました。しかもホームの先頭部分で湧き出しているようです。
ホームに立っている警備の人に聞いてみたら、以前から水は流れていたが、蓋を取り去ったので気づかれるようになったとのことでした。
地下水が噴出していたとしても、江戸時代に水に困っていたような土地で、こんな浅い地下鉄で山の中の清水のようにこんこんと湧くはずがありません。そのままだと滞留して水が腐ってしまうので、循環させているという話でした。
銀座線はすべての駅にホームドアをつけるなどの大改修を始めるそうですが、小さなことからいろいろな工夫がされているのだと知りました。

おまけで、上蓋を取り去ることで線路を行き来していたネズミが渡らなくなったという副作用もあるそうです。

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2015年7月 2日 (木)

駒込富士

6/30、7/1と雨で出られませんでしたが、駒込の富士神社の山開きは今日までやっていました。昼過ぎに雨が上がったので出かけることにしました。   
   
墨田から文京区に行くには、どうしても本郷台地縁の崖を上らなくてはなりません。富士神社は本郷通り沿いにあります。本郷通りとそこから分かれる旧白山通りは台地の嶺の部分を通っています。    
急坂を避けるには不忍池から、旧谷田川流路のあとのへび道からよみせ通りと入ると楽です。しかし、今回は期限が来た図書館カードの更新もついでにするので、日暮里に寄って行きたい。するとその後、西日暮里駅の下をくぐる道灌山を切通した通りを行けば平坦に、よみせ通りの先に交差します。そのまま北上すれば、何度も通った北区田端図書館、不忍通りに出て六義園を過ぎれば豊島区駒込図書館に行け、そのまま本郷通りに戻れます。    
よみせ通り、へび道は帰りにとおることにしました。    
   
荒川区日暮里図書館ではカードの確認と、ついこないだ知った「小さな恋のものがたり」の最終巻を見ることができます。小学生のころ、ずっと上の従姉のうちで何冊か読んだことがあり、去年まで続いていたなんて知らなかった。チッチとサリーが別れたそうなので、どういうことか確かめたかったのでした。(結果>サリーの海外留学)    
   
駒込図書館は残念ながら改修中。すぐに富士神社に移動しました。境内を埋めつくす屋台が準備の真っ最中。なかなかにぎやかな山開きのようです。屋台の間を抜けた社殿にのぼる階段は角度40度を超えるかという急なものでした。神職に「下りないでください」と言われるくらいです。    
ここはもとは古墳だったとも言われます。近くの鷹匠屋敷や江戸野菜の駒込茄子と合わせて「一富士二鷹三茄子」の語源とも。    
ここ特有の縁起物、麦藁蛇が売られていました。    
   
下りるには緩やかな坂が脇に用意されています。まわりを確かめる余裕があります。奉納された古い石碑が草に埋もれています。    
下の社務所に、富士講の役員(?)も詰めていました。もちろん今では富士山に参詣登山をする本来の講の役割はなく、この山開きを存続させるために活動しているそうです。    
まだ地元の人たちの参詣は始まっていませんでした。写真部の中学生たちが引率の先生とあちこち撮影をしていました。

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