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2015年12月 8日 (火)

日本製PC

1988年に初PC購入。だから秋葉でマイコンをいじっていた先駆者にはまったく及びません。

当時は8ビットマシンが16ビットになろうかという節目で、富士通タウンズやシャープX6800もとても魅力的でしたが、友人の88をいじらしてもらっていたので、NECにしました。PCM録音ができることとフルカラーが扱える、アニメーションが作れるので授業に使おうかという気持ちがありました。

文字を読ませて訳ができればOKという授業はしたくなかったですね。ここで、ソフトが発売されないという事態に直面。ないものは作ると、友人にならってプログラミングを始めました。

その後、ノートPCで98を4台買い替え。途中でWindows3.1、3,3を使い始めて事務仕事もMSOfficeプログラムはVisual Basicに移行しました。「高水準言語」でできることも少なかったですが、その後も成長してくれました。
そのあと、Sony VAIOに切り替えたのはAdobe Premereが付属していたからで、今でもメインで使えています。
ノートは教室まで持ち運ぶことを考えるともっと小さい方…となって視力もよかったので、東芝Librettoを使い倒してました。生産が終わってノートもVAIOに。OSやソフトは肥大化する一方で、3台ずつ買い替え。
SONYがVAIOを切り離し、まだデスクトップは能力十分なものの、ノートはパワー不足になって、東芝に復帰してダイナブック。
おまけ塾に通えない子が出て、出前授業のため、という名目でタブレットに興味があったので、でも作業を考えるとPC以外は考えられず、富士通のArrowsを入手、その生徒が卒塾した今は移動中のデバイスです。

だらだら書きましたが、NECがレノボになり、SONYがPCを止めたのも嫌な感じでしたが、今回不正会計の影響か、東芝がPCを手放そうとしています。富士通と一緒になってくれればいいのですが、そううまくいくかどうか。

若者の使い方を見ていればiOSやアンドロイドで足りちゃうんでしょう。PCを使いこなせる若物の数は世界の中でも低いほうだそうです。それは学校でのPC教室の使い方を見ても納得です。
秋葉のマイコン世代のような、PCの「低水準言語」を使いこなして創造的な作業をする人が日本に少ないとしたら、世界をリードしていくことができなくなっていくような気がするんです。

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コメント

 藪さんが自転車で秋葉原に通い始めたのは小学校の高学年の頃だったと思います。中学生の頃には万世橋交番の前の木造二階建ての日の丸電気にレコードを買いに行きました。日の丸電気と記載されたレコードクリーナーを今でも持ってます。

 高校時代には日の丸電気の黄色いレコード袋を持つのがあの頃のステータスでした。片側がポップスやジャズプレーヤーの顔のイラスト、反対側がクラシック音楽の作曲者の似顔絵でした。それがいつの頃からか石丸電気と云う名称になりました。

 ワンボードマイコンは、ロイ・ジェームスがラジオのライブ放送をやっていたサテライトスタジオがあったシントク電気の並びのラジオ会館の隣の妖しい店^^で、256バイトで8桁の液晶を動かした計算機を見た時は驚きでした。

 その頃の藪さんはマイコンよりも、ラジコンとかCB無線機に興味があって、その怪しい店では、日本では違法の高出力CB無線機を売ってましたので藪さんは買いました(^ω^)

 大藪春彦じゃないけれども、当時はPチャンと云っていた、警察無線はすべて傍受可能でした(^ω^)

投稿: 藪井竹庵 | 2015年12月 8日 (火) 13時57分

その頃は液晶じゃなくって、もしや蛍光管の数字では?
それはともかく、与えられたソフト・ハードで満足しないでなんでも自作していた人たちは熱いですね。

わたしゃオーディオも自作したことがない…

投稿: snob | 2015年12月 8日 (火) 16時02分

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