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2016年1月28日 (木)

「江戸東京の地形の謎」(二見書房)

2013年発行。まえがきにて、「古地図は震災以降、別の資料側面をもつようになった」ことが語られます。人間の記憶が忘れてしまった事象の痕跡が遺されているのです。

Chikeinonazo     
   
本文は「水道橋」の名の謎から始まります。神田上水の懸け樋と水道橋はそれほど近くない。近くにあるという理由での名と一般に思われていますが、そうではなかったのです。    
水道橋はもともと吉祥寺橋といいました。明暦の大火後、駒込に移転した吉祥寺がもともとたもとにあったのです。そして、「江戸屏風図」にはその橋の下に水道の懸け樋が併設されているのが描かれています。    
   
洪水で上水を供給する懸け樋が流されたので、被害が及ばないよう下流に移設されたと、資料には見えない記憶が残っていると主張します。ここでひきこまれてどんどん読み進めていきました。   
   
ページ構成はまず見開き2ページで古地図を見せ、次の2ページで解説を加えるのがほとんどです。だから解説本文を読んで地図を参照したいときは最小の動作で済みます。   
地図は左右のページで同じ地域の別のものを示す例が多く、その地図の年代は平成の現代図、明治・大正の測量図、安政・明暦・寛永の古地図が組み合さされて、時代による変遷を明らかにします。   
特に多用されているのが、寛永の江戸図で、手書きではありますが、のちの時代の版行地図と比べてもそん色がありません(痛んでますけど)。手書きだけに当時の地形の凹凸が色を使って表現されているという特徴があり、江戸の初期の地形をうかがい知ることができます。   
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10年前に新発見のもので、まだあまり研究の進んでいないものだそうですから、本書がその手始めなのかもしれません。地図の発行元のjpgを借りてきましたが、当時の江戸は隅田川まであったから、これで全図になるんですね。(ちなみにこの「寛永江戸全図」は都立中央、中央区・港区・西東京市のみ所蔵。西東京以外は禁帯出あつかいです)   
   
解説本文でも、「八重洲口」は「八重洲河岸」が丸の内にあったのになぜ東京駅の東側なのか、とか神田小川町と神田川開削、神保町の地名の話などおもしろく読みました。   
   
その神保町や、人形町・元吉原は地図・文・地図・文と8ページにわたって扱っているのですが、他にも2ページの解説がちょっと伸びて次の地図をまたいだりがあります。   
そうなるとページをめくる手が煩雑になります。   
また見開き地図もページいっぱい余白なしで大きさを確保していますが、そうすると綴目で地図がゆがむ、と紙媒体の弱点に気付かされます。
Mihirakichizu     
それは前回記事にした「スリバチ地形さんぽ」でも同じなわけで、美術事典でもそうですが、電子書籍がふさわしいと思うんです(出てません)。   
   
タブレットで持ち歩くなら何冊も携帯して現地で参照できますし、歪みは抑えられるし、できるかどうかは知りませんが、地図部分を表示したまま解説本文を見られるかも。

 

この書籍は都内であればほとんどの区・市にあります。ただし、墨田区は1冊だけなのに、台東区・品川区は3冊、江東区に至っては8冊所蔵と地域の差があります。私は地元では待ちが入っていたので、江東区で借りました。

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