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2016年2月12日 (金)

「隅田川のあそび」講演会

江戸東京博物館館長の竹内誠先生の講演が、無料で(年間パス)聞けるとあって朝、いさんでたばこと塩の博物館に整理券を取りに行ったまでは先に記事にしました。

とても楽しみにしていた講演会でしたが、予定の時間になって3階の会場に移動すると、ロビーで大勢が開場を待っています。整理券番号順に入場したのでせっかくだから前のほうに陣取りました。
「あそび」がタイトルですから、ご自身の隅田川での遊びから話が始まりました。
日本橋で生まれ、ポンポン蒸気で浅草に遊びに行ってデパート屋上の遊園地で遊び…というのは著書・対談集「江戸は美味い」でも繰り返し思い出として語っておられます。
そして途中で見える旧国技館(蔵前)から大相撲の話題に脱線し、名勝負の裏話を楽しそうに話していました。
終戦直後、付近の工業生産が停止したわずかの間、清澄を取り戻した隅田川で泳いで遊んだ思い出が強かったようです。その後、すっかり隅田川は生活から切り離されてしまいました。

個人的な遊びの思い出の後は江戸・明治の隅田川の遊興についての話題に移りました。三社祭は古くは隅田川に神輿が渡御する川祭りだったこと。男尊女卑の時代であっても夫が棒手振りで外に出ている間に、女だけで参拝と称して川沿いの遊山に出かけたりしたこと。大名家臣が深川あたりで大いに接待に励んだことを資料を示して説明してくれました。
特に幕末から明治にかけての外国人が隅田川近辺を愛でたたえたことを強調していました。
また、研究者の見地から、隅田川で「水練」をしていたことは分かっているけれど、遊びとして「遊泳」した記録が見つからないのだそうで、近頃はその資料を探しているそうです。わずかに「熈代勝覧」で日本橋の向こうに遊んでいるような姿があるくらいだとか。
川の近くに住む子供が川で泳いで遊ぶのは自分の経験からしても当たり前のような気がしますが、日常過ぎて資料に残らないのかもしれませんね。

近年水上交通などが復活しつつありますが、先生は、「首尾の松」の完全復元を願っているそうです。今のような蔵前橋のたもとに申訳のように植わっている松ではなく、もっと本来の位置で川にかかるような姿を取り戻したいようです。

やはり経験と深い研究に裏打ちされた話は面白い。浅草寺日記の整理に尽力された経緯から総代の一人になられて、また8年申年生まれで年男であることから今回の豆撒きに参加することをここで知りました。こういうお話を無料で聞けるのだから、東京は恵まれていると痛感しました。

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コメント

 江戸東京博物館館長は昭和8年生まれって事は、1933年。プレスリーより二歳年上(^ω^)

 藪さんに落語を教えてくれた、親父の妹のおばさんに連れられて、藪さんは本当に子供時代にいろんなところへ連れて行ってもらいました。両親は乾物屋の仕事が忙しいので、どこへも連れて行ってもらってません(^ω^)

 水上バスや浅草。東京タワーが出来た時や、染井霊園の我が家の墓参り等・・・現在の有楽町のビックカメラの上階にあるホールがビデオホールと云ってた頃に、コッペパンにバターを塗った弁当を持って、ラジオ局の収録を見に行ってました。あのおばさんの事を思い出すと藪さん、酔ってる時には涙が出てきちゃう(^ω^)

投稿: 藪井竹庵 | 2016年2月12日 (金) 15時12分

本当に東京は昔から見物には事欠きませんね。年寄りの世話を手伝いながらも楽しむことができるのだから大いに生活に張りが出ます。

投稿: snob | 2016年2月13日 (土) 10時38分

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