« 2016年3月 | トップページ | 2016年5月 »

2016年4月

2016年4月29日 (金)

風雲児たち幕末編27

前巻の発売が去年の8月でしたから、ペースが遅くなったようです。
Fuunji27    
   
今回はまず、西郷隆盛の復帰。そして半ばで「坂下門外の変」が起こります。教科書では事件名くらいしか載っていませんでしたが、失敗した暗殺計画がなぜ政局を動かすのか?全くわかりませんでした。反安藤正信勢力が勢いを増す場面で今巻は場面を終わりますが、雑誌の連載、今月号で幕府内の争いで結果的に、攘夷志士が臨んだ暗殺と同じ効果を生んだ皮肉が描かれています。   
後半は再び鹿児島に戻り、久光との確執。やがて倒幕に向かう二人も憎悪にまみれています。   
   
いやあそんな複雑だったとは知りませんでした。   
   
済んでしまっている結果ですが、その事実の見せ方が魅力を生むのはあまたの歴史小説も同じです。ぜひ完結してほしいけれど、作者の年齢と考えるとこのペースでよいのか心配でした。   
しかし1月に講演会に参加して以来、もう完結を読めなくてもいいかな、と思い始めています。作中で江戸の人物が生き生き動いているのを見ていられれば満足な気がします。

購入は再び電子ブックにしました。現物がほしくなればあとでゆっくり手に入れればよい。なんなら中古でも、と思いましたが、今回の帯は女優の杏が書いているのでした。どうせなら帯があるほうがいいかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年4月19日 (火)

草鹿

山谷堀の河口の二つのグラウンドに挟まれたバス駐車場近辺が整備されました。かつては平成中村座の小屋がここにありました。江戸通りから分かれた都道314号をわたると山谷堀が暗渠となったその上の公園になりますが、今回の整備で迂回せずに山谷堀公園に降りられるようになりました。ソメイヨシノはとっくに散って、ありませんが、違う種類のサトザクラが目を楽しませてくれます。
Sanya_hiroba    
   
その日の午後は恒例の流鏑馬の日でしたが、今年は有料席は早くに完売、案内のチラシも墨田公園休憩所からは姿を消していました。どうやら人気が上がってきているようです。なんだか混みそうなので今回はパス。   
でも午前中に「草鹿(くさじじ)」が行われることを知ったので、出向いてみました。会場はこの新しく整備された墨田公園山谷堀広場。流鏑馬会場からは言問橋とグラウンドひとつ離れています。こちらはすべて無料席で、開始ちょっと前に着いたら長床几に余裕ですわれました。   
   
これも弓で的を射るのですが、的が鹿の形をしています。鹿のまだら模様各所に名前がついていて立射で二チームがポイントを争います。
Kusajisi Kusajisi2    

スポーツと違ってただ当てればよいのではなく、古式ゆかしく古い時代の言葉でどこに当たったとか、屋が跳ね返りすぎて無効だとかを射手と審判が「問答」をします。「あらまほしい」なんて古語を保存しているとは驚きました。江戸というより鎌倉時代の名残ですね。慣れぬ様子でたどたどしいセリフになっていることもありました。   
   
録画は、弓を射た瞬間にレンズを振って的に当たる瞬間を連続でとらえたいと何度も挑戦しましたが、うまくいきませんでした。タブレットPCのおまけソフトの性能ですから仕方ありませんね。   
   
江戸時代には浅草神社の正月行事だったそうですが、かつては観音裏にあったという馬場ででも行われたのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年4月10日 (日)

おめでとうリオ!

ここ数日、競泳がニュースをにぎわしています。いやU23のサッカーだって、格下の世代という見方を裏切って、出場を決め、その後の親善試合だってメキシコに勝って成長を見せてくれました。
でも今度の競泳は高校に上がったばかりの下町(川を隔てて隣)の少女が素晴らしい記録を連発して、マルチスイマーとして出場を決めたんです。

久しぶりに、おまけ塾の教材について書くことができます。それというのも、教材は作りつくしたわけじゃなけど新しい思い付きがないのと、今回もそうなのではありますが、つかう写真・絵がネットでとってきたものばかりで公表を躊躇することばかりだからです。

春休みが始まったころ、新中学2年生には「未来」の表現を教えます。be going toが先でwillを続けます。両者には明らかな違いがあるのですが、ほぼ同じことを表すこともあるので、中学校では交換可能な表現をして教えます。「単純未来」とか「意志未来」とか習った方もおられるでしょうが、なかなかそういう用語ではうまく表せません。ネットで解説を求めても正反対の説明が見つかったりで中学生には一筋縄でいきません。
自分は説明を単純化して、(話し手の思う)確率の違いと教えています。そうすればのちのち複雑な説明を受けたときに対応ができるでしょう。

だから子供たちの始業式前に、教師の異動をbe going toを使って知らせます。世間的には公表されているのに、学校は生徒に始業式の場でしらせる週刊だからです。かかわりが深い教師の異動は興味をひきます。子供の中には隠しているつもりで明らかに嬉しそうにすることもあります。

しかし、子供が予定を言う活動はなかなか作りづらい。修学旅行の行き先とかくらいでしょうか。

今回は誰がリオ五輪に行く・行かないを生徒に言わせるチャンスです。誰が行くかを聞いてみて、知っている情報があれば喜んで発言してくれそうです。生徒それぞれが違う情報を出し合ってくれれば最高です。
子どもによってはバドミントンの悲しい事件も知っているかもしれません。

東京五輪のエンブレムはwillを使って予想させましょうか。あれいつ決定するんでしょ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年4月 9日 (土)

大横川の花筏

ソメイヨシノは一斉に花びらを散らし、DNAクローンの証を目に見せてくれています。   
今シーズンはあまり桜を探し回らなかったので、散った後の花筏でも楽しもうかと不忍池に行きました。週末で、盛りを過ぎているのに人で溢れていました。池の周囲はともかく、弁天社までの堤は自転車では転がしても迷惑と、引き返しました。   
花筏は川では花びらが流れてしまいますから、不忍池のような静水面ならと期待しました。ニュースでは千鳥ヶ淵の花筏が何度も映し出されました。でも風が強くて吹き流されてしまったのか見当たらず、短いサイクリングをしただけで帰宅の途につきました。
Sinobazu_sakura_2     
   
秋葉原へもまわったのですが、千代田区の駐輪場(2時間無料)がいっぱいだったのでまたの機会とすることにして春日通りを戻りました。隅田川を厩橋で渡ってしばらくすると大横川の名前の付いた横川橋を登り始めます。   
大横川は押上から錦糸町までの区間が親水公園になっています。本来の運河は暗渠化され、京葉道路を越えて高速の橋げたのところで姿を現します。親水公園に小川のようにしつらえられた流れは汲みあげた水を循環しているものだったのです。   
   
橋の上から、散り残る桜と小さな流路に広がる花筏を思いがけず楽しむことができました。不忍池や千鳥ヶ淵はまた今度ですね。
Oyokogawa_ikada

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年4月 7日 (木)

墨堤通り

今日はあいにくの天候ですが、昨日は花見には最高の日でした。このところ模型製作で外出が減っていて、桜を見に歩いていませんでした。これまでははっきりしない天気が続いていたし、今日の予報も出て花盛りも過ぎるということで良いチャンス自体がわずかでした。   
   
さすがにこれを逃してはならないと、身近な隅田川の桜を見に出かけました。もともとですが自転車ではよけい酒は飲めませんからパンとスポーツドリンクを持って。    
桜橋に一気に上がるには4、5回折り返す登坂路を通ります。桜橋の真ん中にいくと上流側・下流側も台東・墨田両区の隅田公園の桜が広がります。
Bokutei1 Bokutei2 Bokutei3

墨田区側の堤防に戻ると頭上を桜が覆っている道を下ることになります。    
その道も東武鉄道の橋梁で途切れますから左に堤防を下りるとそこは旧水戸藩邸です。関東大震災で崩壊するまで水戸家の住まいでした。公園をぐるりと回り込むように戻ると、牛島神社、そして言問橋のたもとを渡ってすぐ墨田文化資料館があります。何度も入館しているのですが、この時期、特集展示「墨堤の桜ー江戸から近代へ」を開催しているので見学に行きました。    
所蔵の浮世絵や写真資料が展示されていてます。長命寺桜餅の山本や店内でも見たことがある、桜餅の包みを下げた花見客の浮世絵もあります。その隣には、桜餅をくるむ葉を塩漬けにして納品した壺も並んでます。    
近代の、土からコンクリートの堤防、それでも水害を防ぎきれず人と水辺を隔てた”カミソリ”堤防へと変わった写真記録も貴重です。   
現在、隅田川に限らずその堤防内に親水テラスが設けられ再び人が見ずに近づいたのはよかったと思います。 
墨堤通りは区役所あたりで地下にもぐり、堤防わきに出てきて高速の下を通ります。高速ができたときの桜の移植も展示されてました。   
   
通りは長命寺を過ぎたところで右に曲がります。言問団子を左手にすぐ左折。これは幅こそ違いますが古地図の桜並木をなぞっています。今は倉庫が並んで桜はほとんどなくなりますが、もともとはもっと上流の木母寺あたりからが並木の始まりだったそうです。   
現在の墨堤通りがかつての自然堤防の上を走っていることは右端から1~2m下がって町が続くところからわかります。   
   
しばらく道なりに進んで子育て地蔵のところから白髭神社までが、やや左カーブした現在の通りから切り離された、古い墨田堤です。かつては入り江になっていて白髭の渡しがありました。やはり右側が落ち込んでいるので過去の堤防とわかります。
Bokutei4 Bokutei5

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年4月 3日 (日)

大名屋敷の名残

庭園と違い、現存する大名屋敷はありません(門だけならいくつか)。もともとが自前の土地じゃないし、幕府がなくなって江戸屋敷が不要になった後はからっぽ。夜の通行に不安があるほどだったそうですし、官庁として再利用されなかったところは茶畑・桑畑になったり。   
しかし、取り壊されて更地になった後も邸内の社・祠には残ったものがあるようで、下町のお稲荷さんなどに多いようです。   
   
このところ久々に積みプラを処理しはじめて、まず工具をそろえなければとヨドバシ通いをしています(あらためて近所にあった模型屋が絶滅していることに気が付きました)。   
   
「伊勢屋、稲荷に…」と言われたくらい、もともと町人の稲荷はたくさん残っています。長屋の一角には必ずと言ってよいほど祭られていたようですし。   
先日アキバ帰りに珍しく総武線高架の南側の側道を浅草橋に向かったら、佐久間公園の一角に稲荷神社があるのに気付きました。   
この公園はちいさいけれど由緒があるようで、「ラジオ体操発祥の地」でもあるそうです。稲荷神社は草分稲荷。もともとこの地にあった安中藩主・板倉主計頭の屋敷だったところが取り払われて町地になった後も土地の人に守られて祭りまで執り行われるようになっています(神田佐久間町は屋敷を囲む町名)。すたれるのが忍びなかったのでしょうね。
Kusawake     
   
そういえば「ぞろぞろ」に出てくる太郎稲荷もそんな神社だったし、間もなく大改修が終わる水天宮も有馬藩の邸神でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年3月 | トップページ | 2016年5月 »