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2016年4月 3日 (日)

大名屋敷の名残

庭園と違い、現存する大名屋敷はありません(門だけならいくつか)。もともとが自前の土地じゃないし、幕府がなくなって江戸屋敷が不要になった後はからっぽ。夜の通行に不安があるほどだったそうですし、官庁として再利用されなかったところは茶畑・桑畑になったり。   
しかし、取り壊されて更地になった後も邸内の社・祠には残ったものがあるようで、下町のお稲荷さんなどに多いようです。   
   
このところ久々に積みプラを処理しはじめて、まず工具をそろえなければとヨドバシ通いをしています(あらためて近所にあった模型屋が絶滅していることに気が付きました)。   
   
「伊勢屋、稲荷に…」と言われたくらい、もともと町人の稲荷はたくさん残っています。長屋の一角には必ずと言ってよいほど祭られていたようですし。   
先日アキバ帰りに珍しく総武線高架の南側の側道を浅草橋に向かったら、佐久間公園の一角に稲荷神社があるのに気付きました。   
この公園はちいさいけれど由緒があるようで、「ラジオ体操発祥の地」でもあるそうです。稲荷神社は草分稲荷。もともとこの地にあった安中藩主・板倉主計頭の屋敷だったところが取り払われて町地になった後も土地の人に守られて祭りまで執り行われるようになっています(神田佐久間町は屋敷を囲む町名)。すたれるのが忍びなかったのでしょうね。
Kusawake     
   
そういえば「ぞろぞろ」に出てくる太郎稲荷もそんな神社だったし、間もなく大改修が終わる水天宮も有馬藩の邸神でした。

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