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2016年7月24日 (日)

テレビの江戸・墨東

特にBSでは歴史を扱ったテレビ番組が多く放送されています。内容はそれほど深くはありませんが、広く浅く知識を広める役割はテレビが担ってくれるのがふさわしいのだと思います。(そこへいくとNHKの終了した「タイムスクープハンター」には知らないことばかりで、斬新でした)   
   
もともと時代劇でステロタイプの「いわゆる江戸」をねつ造していたテレビ局ですから、いちいち目くじらを…とは思いますが、住んでいる墨東について立て続けにいいかげんが放送されたので記録しておきましょう。   
   
7/19には出演者同士のクイズの形で、こんな問いかけが行われました。「江戸の人が両国橋を渡ってまで食べに出かけた料理は何か」   
ああ、両国橋西のももんじ屋を問題にしたいのかなとは思いましたけどね、それが実際答えなのだからがっかりです。   
「肉料理は江戸の外だった両国では食べることができた」のテロップとともにももんじやの猪鍋が紹介されてました。
出題の時の背景に「名所江戸百景びくにはし」の山くじらの看板が映し出されてます。びくに橋は今の銀座一丁目あたりにありましたから、出題時に解答を否定していたのは皮肉でした。   
スタッフが思い込みで作った問題を、俳優が言わされているだけなんでしょうけど、脇には東大の歴史の先生が同席しているのですからボツにしてほしかったところです。
Imadesho1 Imadesho2

その前日、18日の放送で、深川・永代橋落橋の番組がありました。その位置について、「現在のものより200m下流」と説明されましたが、今の永代橋の位置と図で示されたのは「御舟蔵」のあたりで、新大橋と両国橋の間、現永代橋の1.5㎞上流でした。本当は現在の永代橋のちょっぴり上流に元の橋は架かっていたはずです。古地図の橋をわざわざ消して移動したときに単純に間違ったのでしょう。
Rekisikantei1 Rekisikantei2  
   
さらにその前、5/22には、俳優から「『向島』の地名の由来は江戸幕府の治水工事が関係している」と出題されたのに対して、予備校講師が「治水政策には“川を氾濫させる”という考え方があって、江戸時代は隅田川の西側を守るように日本堤を作り、川が氾濫すると東側が水浸しになり、島みたいに見える地域が「向島」と呼ばれるようになった」と解説し、出題者が「お見事」とたたえるやり取りがありました。
Hatumimi1 Hatumimi5    
台本通りのセリフなんでしょうけど、「日本堤」の線が引かれているのは、今戸から吉原に向かう、落語でおなじみの道筋じゃなくって、墨田川の堤防・大堤近くでした。しかも対岸。   
日本堤の役割は、その東側と隅田川に挟まれた地域を遊水地として西側の江戸を守るものなので、説明が微妙にずれていて、向島とは直接結びつきません。   
   
なかなか向島の語源の資料が見つかりませんが、鐘淵上流で湾曲した隅田川はその南側(向島・本所側)が海の方面に当たるため、そちら側の自然堤防が頻繁に切れて流路を変えて流れました。
ひとたび出水すれば、その方面に散在する微高地が浮き上がって島に見えてもおかしくない。   
   
江戸からもっとさかのぼれば隅田川の河口が浅草あたりだった時代もあるわけで、そのころなら向島あたりは海の中の島だったこともあるかも。向島のほか、寺島、柳島、京島、亀島(のちの亀戸)なんかも本当の島だったのでしょう。   
   
番組ホストの知識の豊富さと正確さに舌を巻くための番組なので、滔々とウソを流すのは価値を下げるような気がしました。   
   
テレビがいいかげん、は今に始まったこっちゃありませんが、収録して編集、放送する間の校閲ができてないんですね。ネットの情報と変わらないんじゃ先が思いやられます。

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