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2017年4月

2017年4月29日 (土)

すみだ北斎美術館の「てくてく東海道」

陽気に誘われて自転車で乗り出すと、5月を前にあちこちで祭りの予告を見ます。三社をはじめ、下谷神社の氏子の祭りのほか、浅草橋紅白マロニエ祭という地域振興のもの。   
人がたかっていると近づくと、実際に柳橋鯉のぼりまつり(7日まで)でいくつかのテントを出しているのに出会いました。隅田川テラスでは鯉のぼりを飾り、いろいろな催しを行っていました。子どもたちがレスキューの水難救助訓練にくぎ付けです。   
両国に戻ると国技館の通りで両国にぎわい祭をやっていて、いろいろなちゃんこをはじめとした料理屋がテントを張っています。ちゃんこストリートというらしい。行列はやなので、ひとつ道を曲がって「両国メンチ」というのを買い食いしました。   
   
ほくさい美術館で先日から始まった「てくてく東海道~北斎と旅する五十三次」もこの祭りのイベントのひとつになっています。   
このあいだ広重の東海道五十三次をテレビで特集して、永谷園も出している保永堂だけじゃなく行書版・隷書版と対比して解説していましたが、何も東海道は広重の専売ではなく、北斎もそれ以前から何度も画題としているのです。   
聞いたこともありませんでしたが、「春興五十三駄之内」「東海道五十三次絵尽」「東海道 彩色摺 五拾三次」「五十三次江都の往かい」と多種(7シリーズ中6種)の東海道シリーズ揃いを見ることができます。   
Someii 江戸の弁当の例でテレビ番組で使われたのも北斎の五十三次でした   

一セットが50枚・60枚で揃いですから、前期と後期で展示物ががらりと変わります。総入れ替えに近いくらい。いつもは博物館に行くのが会期の終わりごろになっちゃうのが通例ですが、今回はちゃんと両方見たほうがいいですね。   
   
Sugoroku 北斎の五十三次を集めて大すごろくが用意されてました

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2017年4月23日 (日)

スカイツリー~羽田空港

思い立って出かけてみました。空港限定のキットカットを買うのもいいかと考えたからです。あちこちで足を止めたので4時間近くもかかってしまいました。   
   
本所から深川へ抜けて月島に出ました。お台場のほうへ行って湾岸道路を自転車がとおれるかどうか不明だったのでオーソドックスに築地を通って、大通りを避けていたら浜離宮に出ました。時間も早く、平日なので観光バスが1台止まっているだけでした。桝形の櫓門の遺構となっている正門前まで自転車を乗り入れてぐるりと後戻り。外周(海岸通り)を南下しました。   
やはり江戸からの遺構と思われる石垣が、中の御門を過ぎたあたりで崩れていて工事中でした。石垣一つ一つに番号を振っています。崩れ落ちた石をちゃっちゃと移動して積み上げるわけにはいかないんでしょうね。
Ishigaki Ishigaki2    
   
竹芝、日の出と埠頭ぞいを進み、やがて天王洲。ここが以前から来たかった場所の一つです。京急・北品川駅で降りてもすぐのところですが、「お台場」です。地名は東品川になりますが、歩道橋や交番、そして小学校にその名前が残っています。
Daiba Daiba_old    
線路向うの御殿山を崩してペリー艦隊に備えた、品川台場のうち、陸続きの場所に造成した「御殿山下台場」の跡地はその形を地図上に残しています。そしてその大半が台場小学校の敷地になっていて、校門近くに出土した石垣がモニュメントとなりました。   
その跡地をぐるりと一回り。学校裏にも地図には見えない小道があり、完全に一周できるようです。
Daiba1 Daiba2 Daiba3 Daiba4    
近くの利田神社には江戸湾に迷い込んだクジラを記念する塚があります。   
Whalemonu
   
北品川・南品川の東海道も何度も通りましたが、いずれじっくり再訪するつもりです。しかし海岸通りは大井競馬場で突き当たりますので、立会川あたりから旧東海道をたどります。      
そしてもう一つのお目当て、鈴ヶ森刑場あとに着きました。この跡地は現在も大経寺の境内ですが、第一京浜(国道1号)に大きく敷地を削られてしまって、慰霊碑が並ぶだけに見えます。火あぶりや磔の形の台が位置を変えて遺されていて、刑場であったことを目に見せてくれます。   
ここでは丸橋忠也・天一坊・白井権八・八百屋お七が処刑されたと記されていました。
Suzugamori1 Suzugamori2 Suzugamori3    
   
Haneda_airport
すぐに産業道路にそれて羽田、そして空港に向かいました。自転車を置く場所はないと言われたので、折りたたんで輪行袋に収めて空港ロビー内を探しました。キットカットはすぐに見つかりましたが、観光客土産用の10枚セットばかりで、授業用にもコレクションとしても過剰です。   
教わってセブンイレブンでバラを手に入れましたが、「桜抹茶」「宇治抹茶」「和苺」はもしかしたら以前の期間限定品と同じかもしれません。セットであきらめた「北海道マスカルポーネメロン」はいずれチャンスがあるでしょう。

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2017年4月17日 (月)

待乳山聖天の仏画・浮世絵入門

浅草巡回中にふとポスターに気づきました。「美しき待乳山~仏画・浮世絵鑑賞の入門~」と題した催しがあるというのです。浮世絵について教えてくれる…きっと、秘蔵の作品もあるに違いありません。桜の終わったころ、開催日を楽しみに桜橋を渡りました。   
聖天様の裏側に駐車場があり、そこには今は使われていない裏側の会談があります。そして足の弱い人向けのモノレールが敷設されていて、ボタンで搬器を呼びます。短いながらも頂上の本殿と、途中の に駅があります。    
   
講師は浅草寺の学芸員さん。    
お話しは、浅草寺の歴史、特に戦後復興の経緯を交えて、仏画の様式の変遷から始まりました。中国のものの輸入から模倣へ、そして独自の様式への発展を語りました。   
会場の部屋の障壁画・十六羅漢図について話が及び、それは浅草寺からの寄進だそうです。単に近くにある寺というだけの関係ではなく、終戦後、消失した伽藍を再考するにあたり、戦争時の住職が待乳山に祈願をして、本堂や五重塔などの再建のめどがついて、お礼に納めたのだということ。また逆に聖天側から浅草寺に寄進した絵もあるそうで、一般に知られないつながり合いがあるのだと知りました。   
そして、浮世絵の基本的知識の講義に移り、浅草寺や待乳山聖天を画題としたいくつかの所蔵作品を紹介・解説してくれました。   
来る9月には「待乳山浮世絵展」の開催を告知して講義は閉じました。   
   
仏教の本質・仏説・法話でなく、美術の観点からの話を、お寺が機会を設ける。宗教離れがうわさされますが、いろいろな取り組みをしてくれるのはうれしいことです。ぜひ浮世絵展に足を運ぼうと思いました。   
   
帰りに桜橋を通ると、ちょうと早慶レガッタの準備の最中。若者たちが熱心に立ち働く姿はすがすがしい。競争は見ずにその場を過ぎましたが、懐かしいものを見たような気がしました。

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2017年4月16日 (日)

フランス人士官の遺したスケッチ

眉に唾をつけることもありますが、テレビの番組も捨てたもんじゃないな、と思うことは多々あります。もともと歴史には興味を持っていなかったものが江戸を見たいと考えるようになったのですから欠けているものがたくさんあります。   
   
幕末に、江戸幕府の顧問としてフランスが付いたことは知っていましたが、五稜郭の戦いまでフランス士官が協力していたとは初耳でした。    
   
軍事顧問としてフランス政府に派遣された15名の使節団の副団長ブリュネは、優秀な軍人でした。幕府が政権を投げ出した後も教え子である幕府軍に同行するために、皇帝宛に辞表を出したのです。仙台・宮古・蝦夷と転戦し、函館陥落直前に脱出して帰国。    
   
さて、優秀な軍人の条件として「絵の才能」が必要だったとは改めて指摘されるまで意識にありませんでした。写真は実用化されていたとはいえ未発達ですから、現場を即、スケッチして情報を残す能力が必須で、ブリュネはその紹介された作品を見ると、確かに有能です。    
   
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さっそく図書館で「函館の幕末・維新~フランス士官ブリュネのスケッチ100枚」を借りました。ブリュネの事、その作品(赴任先の日本とメキシコ)、函館戦争の記事という構成で、スケッチの大半が大阪や場所不明のものですが、確かに江戸を記録したものもあります。   
浮世絵風のデフォルメと異なる、江戸時代の写生は新鮮な驚きを与えてくれました。

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2017年4月14日 (金)

「落語藝談」小学館

暉峻康隆による、文楽・圓生・正蔵・小さんへのインタビュー集。1998年の発行ですが、さらに30年前、1968年に三省堂から発行としたものの新書化です。また近年、文楽パートだけ独立して発行(河出文庫)もされています。
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それぞれの噺家の章は、名跡代々の紹介から始まります。そして入門のいきさつや稽古・修行の話、名跡襲名のいきさつなどを交えて、芸の取り組みを聞き取っていきます。その時に、得意の持ちネタの工夫に話題がおよぶとそこに噺のあらすじや速記そのものがはさまって落語初心者に紹介するように構成されています。(文楽なら「寝床」「船徳」「明烏」、正蔵「文七」「仲蔵」、円生「子別れ」「鰍沢」、小さん「粗忽長屋」「長屋の花見」など)    
そうはいっても各人の芸談はそれぞれ出版したものがありますので、それと違った話がそうでてくるわけではありません。そちらのほうが分量も多いわけだし。    
それでも自分の芸談には書けなかった、同時代の他の噺家に対する感想は価値のあるものでした。    
文楽が、小さんについて「盛ちゃんなるものは、あたしは惚れておったのです」 正蔵はこのごろ良くなった。「世に出るということについて愚痴があった」けれど近頃は若い者の面倒も見る。円生を「人物を出すところは人物を出して、また解説がうまいんです」とその向上を賞しています。馬生もよくなってきて人の稽古をするようになってきた。ここのとこ良くなってきたと。    
正蔵も「馬生君はあがってきた」反面、「小金治・三平は「噺だけでは生きていけないだろう」と。    
談志については文楽も小さんも暉峻も将来を案じているのが今思うと微笑ましい。    
   
また、小満んの講演で聞いた文楽が「芝浜」を稽古していたことを、この本で本人が語っていましたし、小さんが音源は残っていない(?)ようですが、「文七元結」をやって、「お久…」と呼びかけるところで客に笑われたという貴重なエピソードもあります。    
   
そして締めくくりに、かつてと現在(対談時)の客の変わり方、そしてこれからの落語会への思いを聞き取るのですが、これが暉峻氏の考えを補完するように誘導しているのがあからさまで、おもしろい。    
この当時は落語協会会長は円生が勤めていましたが、小さんが将来の設計を語っています。その通りには現在なっていませんし、新作に関する著者の希望も叶っていません。    
時代が過ぎてからこういう本を読み返すのも一興です。

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2017年4月11日 (火)

水道歴史館のギャラリートーク3月

俊敏の日前後の連休に、水道歴史館の無料落語会が3日連続で開かれましたが用事もあって覗くことができませんでした。受付の人に聞いたら時間前から大勢並ぶらしく、順調に成長しているようです。   
   
代わりと言ってはなんですが、毎月1回開かれているという、ギャラリートーク(学芸員の解説)が次の週にあるというので、出向いてみました。予約などは不要で、その場に集まった人向けに話をするものです。   
   
今回のテーマが「江戸の歳時記:長屋の一年(江戸庶民の念行行事についてお話します)」という、最も関心の高いもので、楽しみにしていきました。この館の最も大きな展示物は実物大の長屋再現です。記録を見ると長屋を使ってよく講話の機会があるようです。   
   
2:00になる前に館内アナウンスがあり、エレベーター前に集合がかかりました。あらかじめこのために来た人がどれくらいいるかはわかりませんが、20人ほどのうちには確かに知らずに来館してこのイベントに出くわした人もいました。   
   
水道歴史館でなぜ長屋展示かというと長屋の中心は井戸で、江戸の井戸は上水道から引かれているからですね。   
トークは観客にいろいろ問いかけながら始まりました。落語からのインスパイアで、江戸の歴史だけは知っていることもありますが、研究している人の情報は大切です。学芸員さんの質問に「井戸替え」だけ答えましたが、極力目立たないように聞き手にまわります。   
今回のお話では長屋のひな祭りは、「お雛様の絵を飾る」というのは目から鱗でした。落語「五月幟」で人形買いのストーリーはありますが、高いし狭い長屋では場所に困る…絵は当然の解決法でした。残っていればいつか実物を見たい。   
   
Suidogallery
新年の若水汲みから始まって一年を順を追って行事をかいつまんで話してくれましたから、最後は掛取りになります。一番の関心事ですから耳がそばだちます。   
この学芸員さんの見立てるところ掛け売りで日用品を変えたのは収入の信用のある大工などに限られたのではないか、というものでした。リスクヘッジの観点から一理あります。とにかくこの階層の庶民の日常の記録は残らないものなので散会したあと追加で質問もしてみました(大きい博物館だと対応はしてくれないところです)。まだ継続で調べてみるそうで、定期的に通う価値がありそうです。

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2017年4月 9日 (日)

夜桜

今年はなんだか少し長く桜を楽しめたような気がします。二年ぶりに吉原おいらん道中を見に行きましたが、通りの名になっている一葉桜も八重の花を咲かせていました。
Oiran
そういえばここ数年、桜の名所はいくつか訪れたけれど、夜の桜を見に行ってなかったと思い当たりました。スカイツリーもこの時期、桜色に輝きます。
Sakuraskytree    
   
近所の公園でも小学校の校庭でも桜はありますが、ここは自転車で5分ほど隅田川べりの桜が安直でいい。それに昼はともかく夜桜はライトが当たっていないといけないし、できたら夜店も出ていた方がいい。
Yozakura    
隅田公園も台東区側は屋台出店禁止ですが、墨田区側桜橋あたりにはテントが数基ならんでいて客がたかっています。どれも向島町内会のもので、焼き鳥・焼きそば・フランクフルト・おでん・飲み物と定番商品を売るのに忙しくしています。
Sakurayatai    
焼き鳥は大ざるに入れてゆでて、火を通してから網に乗せて焦げ目をつけて提供します。昔「庖丁人味平」で知った伝統的な手法です。たしか江戸期から伊勢参りの客をさばくのに使うとかどうとか。現代ではさらにお手軽にすでに串刺ししてあるものを使っているのだと思います。 1本100円ですから。   
おでんも味のついたものを鍋で温めているのでしょうが、そのようなものでも照らされた桜の下で食すと気分が違います。   
昼間だったら、堤防すぐ下の、すみだ郷土文化資料館で「墨堤のさくらと江戸・明治」特集展をやっています(5/28まで)。   
   
なかには芸者衆を連れて歩いている旦那も見かけましたが、カメラは向けられませんでした。こういうお仕事中でなくて、だれにも接客する、向島芸妓茶屋が開いていればとも思いますが最終日は雨なので出会えないのかもしれません。また来年を待つことにします。

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2017年4月 8日 (土)

江戸城内堀

金曜日なので東御苑は閉園でした。千鳥ヶ淵の桜を見に行くのは20年ぶり以上でしたので久しぶりに江戸城跡を通って行こうと目論んだのですが、折角なのでその外側、内堀沿いに歩こうと決めました。普段の時期なら自転車ですが、この花の時期は避けたほうがいい。   
   
大手町で地下鉄を折り出口から上がると目の前に将門塚・旧神田明神社。今年は神田祭の年なのでいずれ訪問しましょう。
Masakadotuka    
江戸城はもともと桜を植えて人を集めようという場所ではありませんから大手門あたりには桜の植栽はちらほらです。
Otegate    
そこを起点に反時計回りで千鳥ヶ淵に向かいます。気象庁前の角曲がると平川門が見えてきます。死人・罪人を外に出す不浄門であり、奥女中の出入りの門でもありました。この門への平川橋は、橋脚橋台は石、橋桁は鉄骨ではありますが、木製の橋で昔の姿を残しています。
Hirakawagate    
そして竹橋。ここもかつては竹橋門があったようで、碑文があります。桝形は失われています。
   
そのまま歩くと紀伊国坂を登って北桔橋門に通じます。金曜でなければここから江戸城跡から出るはずでした。歩道橋で反対側にわたって北の丸公園側に移動するのですが、階段を上がる途中で花崗岩で堀の石垣と色の違う天守台が望めました。
Kitahanebasigate    
   
話はずれますが、天守といえば、名古屋城の木造復元が決まったようです。昨夏の地震で壊れた熊本城を元に戻したいという地元の願いは分かる気がしましたが、名古屋城は?と疑問でした。   
でもきんさんぎんさんの娘さんたちが大賛成というTV映像を見て、そうか空襲で焼失する前の姿の記憶を持つ人がいるんだ、と気持ちが変わって納得できました。   
でも江戸城は明暦の大火の後であえて天守を復元しないという判断を幕府がした(「風雲児たち」の知識)のだからこのままでいいと思います。本丸とかならおもしろい。   
   
歩道橋のすぐ近くが北の丸公園の入り口ですが、そこから入らずに少し坂を下って戻り、近代美術館を過ぎたところで内堀沿いに機動隊方向に曲がります。植え込みなんかで、堀は見降ろせません。科学技術館裏に一度上がり、清水門に降りました。
Shimizugate    
桝形がきちんと現存し、同様に重文にもなっている桜田門・田安門と比べても人通りが少ないせいか時代を遡った感が強い。いちどこの門で外に出て武道館入口の田安門にも入りました。かつてはこの上から江戸湾も見えたそうです。
Tayasugate    
そしてここからが千鳥ヶ淵。満開の桜をくぐって半蔵門へと歩きました。
Chidorifuti

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