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2017年5月

2017年5月30日 (火)

風雲児たち幕末編29

発売日にDL購入しました。書籍としてコンプしていないのはモヤモヤが若干ありますが、スペースには代えられない…(引き続き、キャプチャ>PDF化して万一に備えます)   
    Fuuunji29

今号は寺田屋事件始末。寺田屋なのか池田屋なのか屋号で混乱することがままありますが、この冊のなかでも一カ所間違いがありました。   
でも、薩摩藩内の意見対立が他藩を巻き込んで大事変となるまえに粛清された過程が綿密に描かれ、大いに楽しめます。雑誌本編では桜田門襲撃者の最終的な結末が語られているところですが、もうどんどん人生の絡み合いを書き込んでくれって感じです。もう明治維新までたどり着かなくても構わない、という人は増えているような。   
   
しかし、反体制側は一枚岩に団結はならず、次第にセクト化していくのはいつの時代でも避けられないのでしょうかね。ま、体制側の幕府も弱体化が進んでやがて逆転するわけですけど。   
   
現代で、桜田烈士とか伏見殉難烈士とか忘れられた概念だと思います。以前はどんなに称えられたのでしょう。愛宕山頂の石碑などを見ると感慨に浸らずにはいられません。   
   
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最近のTV番組、高尾山紹介で、「江川杉」を初めて知りました。伊豆代官(といっても関八州担当、とはこのマンガで教わったことです)江川太郎左衛門がこういうところにも絡んでくるのが面白いことですね。

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2017年5月28日 (日)

郵政博物館とご当地キャラフェスティバル

スカイツリーができてもう5年になります。その時に逓信総合博物館が名前を変えて建物内に移転してきました。   
   
子供のころ、切手集めにはとんと興味を持たず、日本の郵便事業は明治以降のものですから、足を向けることはありませんでした。    
ところがこの度、今月末までの企画展「通信のあゆみ~悠久の大逓信」が開かれ、訪問の機会をうかがっていました。郵政以前の、日本の通信制度の展示はそうは機会がありません。    
5/28に、関連講演があったので、あわせて観覧に行きました。    
   
講演は3:00からだったので、その前に恒例のゆるキャラが集まるフェスティバルのスタンプラリーをやりました。スカイツリー内の会場もひとつふえて、大勢がゆるキャラのステージに見入っていました。こちらはどうでもいいので、(といってもゆるキャラは授業でも活用するので結構名前を知っていたりする)自転車でさっとスタンプを集めました。    
Yuru2017
景品はいくつかあるのですが、毎年「おしなりくんストラップ(ポーズ違い)」をもらいます。ま、本当にほしければおしなりくん家で売っているのですが、そこは長く楽しみましょう。    
ふなっしーのステージは遠くから姿を見ることもできませんでしたが、相変わらずの人気。中にはいっしょの写真も求められないかわいそうなキャラもいます。通りすがりに配っていた「言問姐さん」の名刺をふと受け取りましたが、その裏を見ると、あの「江戸しぐさ」NPO法人が協賛してるのをいまさら知ったのです。    
してみると姐さん、明治政府の江戸っ子大虐殺は逃れたものと思います。    
   
さて、時間に合わせて博物館に入場しました。入場料は300円ですが、今回すみだ北斎美術館のチケットで無料入場の特典を使いました。年間パスポートを購入する前、一度買ったチケットを捨てずにいたのがよかった。    
   
通常展示をさっと見て歩く。郵便の説明とやはり大量の切手展示がメインです。切手はパネルを引き出して鑑賞するようになっています。   
   
講演は、展示の中心の「海道分間延絵図」について埼玉文書館館長さんが研究の成果を発表してくれました。将軍用と道中奉行用の二(あるいは三)部の所在が混乱していること。郵政博物館は現場の道中奉行用のものを引き継ぎ保管していますが、それと紅葉山文庫(将軍用)のものとの比較を実際の絵をプロジェクターで表示して明らかにしてくれました。ちょっとレベルは高かったですが、よいお話しを聞けました。   
   
企画展は、平安時代の手紙:東大寺文書や公文書配達の際の割符(身分が間違いない)、今川氏の伝馬制などの古いものや、江戸時代の街道の様子(文間延絵図)はここでしか見ることができないものでしょう。   
ペリー来航の折にデモンストレーションされた電信機、平賀源内のエレキテルも大いに興味を引きました。   
    Daiteisin1 Daiteisin2 Elekitel
この企画展は6/25までです。

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2017年5月21日 (日)

船の科学館の帰りに第六台場

和船の模型を見たあと、期間限定で再公開されている南極観測船・宗谷を見学に行きました。昔は科学館のすぐ前の桟橋につながれていたのですが、かつて同じく洋上展示されていた青函連絡船・羊蹄丸のあった対岸の桟橋に移っています。そして直接科学館からつながる桟橋は閉鎖されていて、堤防の上をぐるりと回らなくてはなりません。
Funesoya    
   
船は常にメンテナンスしないと、すぐに腐食が広がるものです。宗谷に乗り込んだら、あちこち白ペンキを塗っているところでした。後悔は無料との触れ込みでしたが、入場口で「志」を求められるのはやむを得ないでしょう。
Funesoya2    
順路に沿って士官室や操舵室など諸設備を見学して宗谷を後にしました。   
そのほかの野外展示物は時間切れです。   
   
家に残した年寄りがそろそろおなかをすかせる時間です。急いで帰るために、水上バスで浅草に戻ることにしました。出発のお台場海浜公園のすぐ目の前ですが、第三台場(台場公園)はまたの機会にします。
Wbus1    
自転車を袋に収めて乗り込んだ水上バスですが、桟橋を出て隅田川河口に向かうのに、島式防波堤「鳥の島」と第三台場の間を抜けて出ます。すると、それまで隠れていた、第六台場が現れました。立ち入り禁止の第六台場をまいて通るとは知りませんでした。   
上陸できる機会はないでしょうから、いずれレインボーブリッジの歩道から眺めてやろうという心づもりでしたが、今回、船がこんなに近くに通るとは。   
幕府の巨費を投じた壮大な、未完の防衛線でしたが、ペリーを驚かす程度の効果はあったようです(「風雲児たち」)
Wbus2 Wbus3 Wbus4 Wbus5 Wbus6
しっかりしているようには見えましたが、一部石垣の隙間が広がっているのが気がかりです。修復整備して公開されるようならいいなあ。   

船はいまだに開通しない築地大橋を手始めに、勝鬨・佃大橋・中央・永代・清州・新大橋・両国・蔵前・厩・駒形・吾妻と橋をくぐって浅草に戻りました。   
久しぶりなので自転車の袋を下に置いてデッキに上がってずっと眺めていました。
Wbus7 Wbus8
(案内の音声ガイドが、上流に行くにつれて位置と橋の名前がずれているのと、英語・中国語版が橋の名前しか言わないのがインバウンドを期待するこのご時世を考えると、残念でした)

到着は二天門桟橋で、自転車を展開して自宅に戻るのが楽でした。
Wbus9

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2017年5月20日 (土)

船の科学館の江戸木造和船細工展

船の科学館が老朽化で閉館し、懐かしい青函連絡船「羊蹄丸」が処分あされた後、別館だけ公開していて、南極観測船「宗谷」の観覧を再開していることを知りました。   
そして、和船の模型展を本館入り口ロビーで を開いていたので(~5/14)、最終日に行ってきました。    
   
自転車で清澄通りを南に降りて、今回は勝どきで左に折れ、悪名高い豊洲市場を通りすぎで、お台場に1時間強で着きました。
      
Funekagaku

ちょうど別館のドアが開くところ。以前に訪問した記憶はありませんが、入るとすぐにウォータラインの戦艦群。そしてダイキャストの精密船舶模型が展示されています。好物です。このジャンルの存在を知りませんでした。
Funebekkan Funebekkan2       
   
他にも海底立体地図などを見て裏口から出ると、そこが本館の玄関です。入ったロビー右側に写真のようにびっしりと木で作った和船模型が並べられています。作者の中山さん来館の日で、時間が合えば制作過程のデモも見ることができたはずです。    
和船となると作成図面が残されているか怪しいですが、中山さんは「船鑑」という江戸時代の資料(船の科学館が復刻)を参照して作っておられるようです。失われつつある和船の技術をできるだけ遺すことを志して、市販されている模型に対する不満も口にしていました。   
船の他にも家屋や樹木、船着き場などの情景もありました。1/70で障子などの建具も可動です。    
Funewasen5 Funewasen4 Funewasen3 Funewasen2 Funewasen
見学に来た人も、この方面(船or模型)に興味のある人が当然多く、質問攻めにあっていました。    
   
今回、会期を過ぎてにブログ記事にしましたが、大丈夫。このところ年に2回開いているとのことで、タイトルにpart1とついているのだそう。また秋に少しずつ増やした模型とともに帰ってきます。

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2017年5月16日 (火)

神田祭

東京に住んでいくつか祭りに出会いました。有名な祭り、歴史ある祭りでも神輿単騎が町内を練り歩くのはどこもそれほど違いがなく、やはり祭りは参加するものだと認識しました。   
   
週末に終わってしまったのですが、「橋を渡る 東京から江戸へ」と題したイベントのパンフをもらってありました。「江戸も東京も川と橋野町でした」と始まるキャッチで、風景と暮らしの変遷の展示に誘っていました。   
タイミングが合わずに最終日になりましたが、行ってみました。   
   
蔵前通りを秋葉原に進んで、中央通りに差し掛かると、歩行者s天国が復活していてちょうど昼を過ぎたところで、各町の神輿が集まって休憩をとるところでした。   
    Kandafes Kandafes2

バラバラではあたりまえの風景だった神輿がたくさん集まると、景色が変わります。見ている間にも続々と神輿が集結してくるのはエキサイティングでした。   

会場のアーツ千代田3331は、そのまま神田明神に向かう通りのファミレスの裏辺りでした。元小学校をアートスペースに変えたもので、入ってすぐのスペースには、各町の祭りの手拭いが飾られていました。   
    Artschiyo Artstowel
展示会場は奥まった部屋で、日本橋・常盤橋などの橋、埋められた龍閑川、柳原古着市などの移り変わりをパネル展示していました。   
一番奥には神田祭の歴史が古写真とともに解説・考察されていました。   
もともと各町の山車の行列が祭りの中心だったものが、明治になって神輿がとってかわったけれど、それが電線のせいだというのは俗説で、市民が祭りを変えていったのだと説いています。   
Artschiyo2 Artschiyo3 Artschiyo4
それでも、仮装行列(附け祭りという)は現代風のものもまじえて、江戸から変わらず人気だといいます。   
   
こりゃそれも見てみたいと神田明神に行きましたが、とんでもない。男坂を登っても裏参道からでも出店屋台に狭められた境内に人がびっしりでした。表の参道は、宮入の神輿が次々やってくるので入ることもできません。参拝も本殿にはわきから入ってわきへ抜けるしかありません。幕で宮入は見られません。資料館も見学なんて思ってましたが、こりゃ出直しです。   
    Kandafes3_2 Kandafes4

祭りはそのあと翌月曜で閉じたようです。

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2017年5月11日 (木)

圓朝の旧居(跡)がありました

遠出するでもなく、移動中に、北斎美術館前の公園の案内図を眺めていたら、江川太郎左衛門英龍旧居後の記述がありました。「風雲児たち」の一時期の主役の彼は伊豆代官で、プチャーチン対応、台場建設などに忙殺されたあげく体調を崩して亡くなりましたが、その終焉の地とありました。一時期愛宕下の屋敷(浜離宮の南東角:こないだ通った湾岸通りの個所)に慶應義塾が置かれた話を読んだことがありましたが、墨田区にも屋敷があったことは知りませんでした。   
Egawa_monu    
何年も前、世界遺産に指定される前に、そのマンガの舞台になったということで韮山(現・伊豆の国市)の江川邸と反射炉は見学に行ったことがありました。きちんと保全されていて立派な史跡でした。   
そのような残る実物は何一つないのですが、説明で、よすがをたどることができるのもよいものです。   
   
墨田区では以前から鬼平の実際の屋敷=遠山の金さんの屋敷というのは取り上げられていたし、記念の説明板もありました。近頃、区も観光資源化を考えているのか増やしたのかもしれません。   
   
公園の案内図に、意外なものを見つけました。「三遊亭円朝旧居跡」です。新宿(花園公園)に旧居跡があるのですが、こちらは初耳でした。   
やはり近くなので探してみると、ネットの誤情報に惑わされてぐるぐる歩き回ってしまいました。これもまた公園(亀沢第一児童遊園)の一角に小さな説明板がありました。位置が低くて何度も見逃したようです。
Encho_monu Encho_monu2    
新宿のほうは立派な石碑もあるようですが、屋敷の遺構はのこってはいないでしょう。それは東京というスクラップ&ビルドの都市では仕方のないことかもしれません。

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