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2018年7月

2018年7月25日 (水)

日比谷公園の二つの展示

江戸時代に関する展示が行われていることを偶然知ったので、一挙両得と、自転車で出かけてきました。この時期は少しの移動で汗びっしょりです。30分ほどで着くのですが、途中、のらくろ商店街でソフトクリームを食べちゃいました。

ひとつは緑と水の市民カレッジ3Fのみどりのiプラザで「作られた江戸城と日比谷公園の地形」でした。IMG_3313IMG_3314
20数枚からなるパネル展示で、江戸のもとの地形がどのように活用されて江戸の町が成立したかを解説しています。パネル説明以外の品物がほとんどなかったのは残念でした。発泡スチロールの高さを強調した江戸城の地形が力作です。童友社の江戸城プラモには微笑んでしまいました。これは5年前のアンコール展示で、8月10日までです。
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その下の階では小石川後楽園開演80周年というコーナーが設けられ、都立公園になってからの資料が並べられていました。

もうひとつは日比谷公会堂の裏側(?)の市政記念館の地下にある領土・主権展示館でひらかれた「長久保赤水展」でした。こちらは全く知らない人物です。「いったい何者?江戸の地図男」という惹句がついていますから現在では埋もれた人なのでしょう。国家機密として秘匿された伊能図とちがって、江戸時代の人々に常用された日本図を制作したらしいので興味を強く持ちました。
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会場の「領土・主権展示館」というのも初めて聞きました。行ってみてわかりましたが、国民に領有を争う地域について広報する目的の組織のようでした。(ただし北方領土は北海道に主たる施設がある)

展示館の向かいにしつらえれた特設会場は長久保赤水に関するパネルと複製資料でいっぱいでした。どうやら地元・茨城県高萩では顕彰会がつづくなど尊敬されている人で、資料の多くは国土地理院が収集したもののようです。知る人ぞ知る人物なんですね。
赤水は水戸の儒学者で地理学・天文学・農政学を研究し、各地の地図や日本全図(蝦夷を除く)を発行しました。伊能忠敬のように実測した(幕府の後ろ盾があった)わけではなく、情報を基に地図を完成しました。
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そしてそれが江戸時代の人々が行動するときにこの「赤水図」大いに使われたのです。主な街道と宿場が記されていて庶民は旅先に思いをはせたことでしょう。「吉田松陰も絶賛」なんて文句もあります。脱藩しての東北旅行をはじめ、諸国の情報を整理するには地図が必要ですよね。

驚いたのは、ロシア語版の赤水図が並んでいたことです。レザーノフが持ち帰ったとのことです。近い時期にシーボルトは伊能図のコピーを持ち出してシーボルト事件を引き起こしましたが彼もまた赤水図を持ち帰っているそうで、新しく知ることばかりで小さな展示室を何周もしました。こちらの展示は8月4日までです。
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なお、この地図に韓国が実効支配している竹島がのっていることが領土・主権展示館を会場とした理由のようです。本館のほうにももともとから赤水図を展示していました。
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2018年7月21日 (土)

区内の展示:すみだ郷土文化資料館の「隅田川花火390年」など

月末に隅田川花火を控えて、毎年恒例の花火についての展示です。今回は気合が入っていて、入館料がいつもの倍。…といっても200円ですが。入館券もこの展示会専用のものが用意され、記念品の江戸の浮世絵、明治の錦絵などのクリアフォルダをもらえます。(在庫限り:現時点ではまだ大丈夫)

通常は3階と2階の企画スペースをつかうのですが、今回は墨堤の花見のジオラマにカーテンをひいて隠し、空襲画の部屋も含めて2フロア全面をまるまる花火の展示にあてました。タイトルの390年とは、天海僧上が舟から花火を見た記録が残っているそうで、その史料も展示されています。
展示の入り口には、幕布が船花火を許可(1648)し30年後に花火の販売も許す町触れが迎えてくれます。おおむね時代順にならび、花火の技術書や浮世絵がこれでもかと並びます。貞秀の「東都両国ばし夏景色」は何度各所で見たか。それがクリアファイルの一つの図柄にもなっています。
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花見ジオラマのスペースには、昭和11年のモノクロ花火映像が再生されます。撮影は老中阿部家の子孫の伯爵だそうで、大変珍しい記録です。

花火は砲術とも結びつき、明治には軍による水雷火の演示や遠征隊を見おくる昼花火にもつながります。昭和の花火再開からの資料を並べて展示が完結します。区内には両国回向院の隣に花火資料館があり、そちらには花火の仕組みを分割模型などで展示していますから、あわせて観覧するのもおもしろいかもしれません。
この郷土文化資料館の展示は8月26日までです。

区内の施設、江戸東京博物館、北斎美術館、たばこと塩の博物館、相撲博物館をつづけて巡ってみましたが、どれも展示が一部分模様替えがあります。
北斎は新しい企画展、ますむらひろしの北斎展が始まっています。マンガ家の北斎コラボ作品をそのもととなった作品と並べているちょっと変わった展示会です。 

江戸東京博は浮世絵が架け替えられています。芝居と遊郭ゾーンでは四谷怪談(歌舞伎)の浮世絵が楽しめます。
たばこと塩・たばこゾーンの浮世絵が江戸時代のオランダ人を描いたものになっています。オランダ人はたいてい陶器製のパイプを加えているのがお約束だそうで、なるほどこの博物館にふさわしいものでした。実物の陶器パイプは常設展示なのに、浮世絵と結びついて考えたことがありませんでした。
相撲博物館は「七夕と相撲」。訪問して意味が分かりました。日本書紀や続日本紀でも相撲の記述は七夕と結びついていたと教えられました。展示物も相撲の始祖である野見宿禰関連のものもが集められています。バスから降りてきた団体客には歴代横綱の写真のほうが興味深かったようですけど。

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2018年7月18日 (水)

房総のむら

成田からバスで20分。郊外にある博物館が.房総のむらです。もともと自転車で成田との往復するつもりだったのですがこの暑さでくじけました。「むら」といってもTVで見た映像は商家の並ぶ江戸のまちなみでした。だから一度この目でみておこうと考えていた場所です。
ちょっと不便なバスを乗り継いで、実物を目にすると日光江戸村を上回るディテールの街並みが再現されていました。江戸市中ではなく、佐原のような地方の街道であるようです。
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屋外展示なので、ほこりっぽくて(雨だったらぬかるむのかも)道を踏みしめるとリアル感が違います。そのあたりは屋内の博物館展示と一線を画します。立ち並ぶ商家は「再現」と表現されているので、どれほど本物の移築なのかわかりません。16軒のうちには休日であれば食事のできる店もあり、キャンディーとかも売ってたり鍛冶屋さんでは火を入れて作業していました。下駄を展示してある木工間では箸づくりの体験もできるなど活用しています。
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時期ですから変化朝顔の鉢植えが並んでいました。東京の博物館ではなかった梯子の火の見やぐらもあります。    
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商家の街並みの裏手は佐倉で見たような武家屋敷がありました。直前に弘前に旅して当地の武家屋敷も見ましたが、こちらのほうが庭に菜園もあって質素な感じがします。
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「むら」の名にたがわず農村再現エリアもあり、かなり広くて国道をまたいで「上総」「下総」「安房」の三地区の農家が再現されています。村に入るには結界が張られています。入り口に縄が張られて飾りつけがされ、以前、赤城山山中でこういうのをみたと思い出しました。上総・下総の農家は土蔵を構える豪農です。自分も埼玉の田舎の貧しい農家からでたうちですから、畑を区切るように植えられた茶の木や部屋を仕切る板戸、土間のかまどなどに記憶が呼び起こされました。こちらでも機織りの体験や商品が販売されています。
なかなか貴重な施設で、空港からトランジットの客なんかも交通の便が良ければ興味を持つのではないかと尾も増した。ただトイレでのぞいた個室がいまどき「和式」だったのはびっくりしました。
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場内には、古代の発掘品を展示する風土記の丘資料館、外(当日チケットで出入り自由)には農家の住宅が2棟あるのですが、バスの時間に合わないのでスキップしました。

そして、このあとせっかくだったので成田山新勝寺を観光しました。海の日の連休では奥の院の開帳もあってたいへんな混雑だったそうですが、この日は閑散としていたので、ボランティアガイドさんにお願いしてじっくり1時間案内・説明していただきました(庭園部は除く)

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2018年7月 5日 (木)

西郷どん展

上野の山に自転車で登るのに斜面が折り返すルートがあります。今の自転車だとちょっと苦労だし強い逆風にも悩まされました、芸大の「西郷どん」展は見ごたえたっぷりでその疲れはふきとびました。

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地下の第1会場に降りると、石川静正による肖像画迎えてくれます。これは面識のある士族が思い出して描いたものです。有名なキヨッソーネのものは近親者の写真を基につくられたものですが、面影は共通のような気がします。

3Fの第2会場の入り口には禁門の変の屏風絵が出迎えてくれます。
西郷は幕末の動乱の立役者の一人として価値を認められているわけですから薩摩のみならず、雄藩や幕府の動きも追う展示となっています。当時の鹿児島の資料や薫陶を受けた斉彬、対立し同盟した長州、勝海舟や慶喜の資料が整理してまとめられています。篤姫の調度品など何度か博物館で目にした品物もあります。
木製の大砲なんて珍しいものがありました。西郷や薩摩藩が使ったわけじゃないでしょうが同時代品として展示されています。「風雲児たち」にもちゃんと描かれていたものなので実物を見る機会を得てとても興味深いものでした。
    
「漂巽紀略」があったのは感嘆しました。アメリカから帰ってきたジョン万次郎が琉球・薩摩を経て土佐に戻った時に川田小竜に体験を伝えたものです。なんだか「風雲児たち」の世界を追っている気分でした。  
   
維新ののち、西南戦争が西郷にとってもこの国にっても重大な影響をもたらしたわけですが、日本赤十字のコーナーがあります。そういえば博愛社の設立はこの西南戦争をきっかけとしたことを思い出しました。上野戦争や会津戦争では敗軍の死者はあえて見せしめに放置されたことが伝わります。それが負傷者であればどちらの側でも救護するように意識が変わり始めました。
でも西郷の敗北して自決するという行動に至る気持ちはまだ変わってなかったんですね。

この展覧会は17日までです。

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2018年7月 1日 (日)

豊島の長崎富士

恒例の山開き、今回は千川に足を延ばしました。去年雨で断念した富士塚です。時間の都合で電車を使いましたが天気が良く、帰りは下りの行程なのだから自転車をたたんで持ってくればよかったと反省しました。   
駅を出て広い千川通りを左に折れると、ずっとまっすぐ続く住宅街の中の通りが社庫に突き当たり、駐車場の合間から姿を望めます。児童公園を回り込んむとフェンスに囲まれた富士塚があります。    
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現在は無住となっている浅間神社はこの山開きのとき(7月第一土日)だけ、扉があけられて上ることができます。鳥居の後ろの石灯籠もフェンスでおおわれています。右手に浅間神社本殿、正面奥には三峰神社の社、左に富士塚入り口の小さな鳥居があります。   
1合目からジグザグに山道が削られ、あちこちに奉納の石碑や石像が置かれています。たいへん状態がよく、修復の記録に石碑も文久、昭和・平成と何度も繰り返していることがわかります。町の人の強い思いなんでしょう。長崎村の南端の椎名町のひときわ大きい碑がいくつか残されています。    
小野照先神社の下谷富士とこれ、練馬の江古田富士の三つが都の文化財となっています。      
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山頂までの道は、(あえて?)歩きづらいところもあって、デジカメ片手に降りるときは足元にヒヤリとすることもありました。   
3、4人立つといっぱいになる頂には祠がしつらえてあります。当地は江戸時代には農村地帯でした。畑と雑木林が周囲に広がっていたでしょうし、かなり遠くから山容を見ることもできたでしょう。   
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滅びる運命を逃れて過去をよみがえらせてくれる、この日の参拝者の中にも同じような気持ちの人がいたはずです。

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